平成25年3月21日木曜日

今日修練していて感じたのは少林寺拳法の方向性と修行について改めて考えないといけないと感じました。
少林寺拳法を通して自分達が何を学んでいるのか?

「少林寺拳法とは、身心の改造を持ってお互いを認め合いながらよりよい社会を作っていくことです。」と道院長が言われました。
自分は改造出来ているかなと考えると技の出来る出来ないばかりを考えているのではないかと思います。
相手を倒す事が出来て嬉しい。
何かが出来たという思いが自分を作りそこで止まっているのではないかと思います。
出来たと思った時点でそれは過去になっています。
出来る状態を作る事は当然ですが、出来た事に満足せず、もっと何かがあるのではないかと深めていく。
より何かを求めて歩みを止めない事が必要になるのではないでしょうか。

自分の入門して来た頃と今の道院長はだいぶ違います。
まず今やっているような法座や学科というものはありませんでした。
始めから終わりまでみっちり修練をして終わる事がほとんどだったように思います。
今は技だけでなく、思想や方向性を学び日常生活に活かせるようにする。
また開祖の目指した人間像とは本当はどうだったのか?
本当の少林寺拳法とはなんなのか?
木の枝葉ではなく幹。幹のなかでもその真ん中を目指しているように思います。
目指す物に向かって軌道修正する速度が上がりどんどん変わっていくように思います。
人の身体は昨日と今日では新陳代謝によって全く別の物に入れ替わっています。
より良く変化をしていく為にも軌道修正しながら日々取り組んでいきたいと思います。

(沙門 記)

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