平成25年4月22日月曜日

今週より、大会に向けての組演武の修練が始まりました。

お互いがやりたい技を出し合い、実際に技をやってみながら、組み合わせや連反攻を考えていきます。

技自体は、教えて頂いているように行えばいいのですが、特に、技と技との繋ぎとなる攻防を考える事が、とても難しく感じます。

私の場合、普段の修練では「教えて頂くこと」の方が圧倒的に多く、「自分で考える」事が非常に少ないことを改めて感じています。

だから、いざ「自分で考えて創りましょう」となると、大変戸惑い、タジダジとしてしまいます。
昨年までは、なんだかんだと先輩拳士に頼り、創って頂いていた事が多かったのです。

しかし今年は、一緒に組ませて頂いている先輩拳士と共に、「自分達で創っている」という感じがします。

組ませて頂いている先輩拳士は、経験もあり、技に対する組み合わせや攻防をすぐに思い付かれます。それは、本当にすごいなと思います。

私は、考えても思いつかなかったり、繋げたい技にたどり着けなかったりして、先輩拳士の仰る事を理解するのでいっぱいいっぱいになってしまいます。

そんなとき、理解出来ない自分に焦りを感じたり、恥ずかしさを感じたり、また、イライラしたりします。
そして、その自分の中に沸き起こって来るものに呑み込まれそうになっている自分を感じます。

ところで、自分で何かを創る事や、創造するということは、基本的には歓びであり発散であると思います。

しかし、以前から感じていたのですが、私は「あなたの好きにしていいですよ、あなたの好きに創造して下さい」と言われると、無性にイライラする事があるのです。

それは、少林寺拳法の修練というより、日常においての方が感じる事です。

分析しても仕方ないのですが、私が過ごしてきた学校や、家庭や、部活動の中では、創造する事より、上の人の言うことを聞いて、それ以外の事はしないというような、創造と真逆の方向性をもった行動を学んできた気がします。

だから、いざ「あなたの好きにしなさい」と言われると「今まで私の好きにさせてくれなかったのに、今更好きにしろといわれてもどうしていいか分からない」というような、考えが浮かんでくるのです。

また、本当は自分で何かを決めたり、創造したりする事を求めているのに、今までの経験の積み重ねから、「自分の頭で考えるより、上の言うことを聞いていた方が楽だ」と勘違いしている自分がいるような気がします。
だから、演武にしても、自分で創る事が楽しいというよりは大変だと感じてしまうのだと思います。

また、演武では攻防や技は「理にかなっている」事をやらなくてはなりません。
その「理にかなっている」という事が、いまいちよく分からないのです。

だから「自分は技に対して、とんちんかんな理解をしているのではないか」とか「そんな自分を知られるのが恥ずかしい」などと感じている自分もいるのです。

そのような事を踏まえ、今回の大会の演武では「創造することを楽しむ」「間違いでもいいから自分を出していく」という事をテーマに創って行けたらと思います。

これから大会準備に入りますが、大会を通して、少しでも自分が変化し、成長できるように取り組んでいきたいと思います。

(沙弥 記)

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