平成25年5月2日木曜日

今日の修練ではこのように感じました。
「人に何かを伝えるのに自分の思いを込めないと言う事です。」
いつも道院長に指導をして頂いている時は必死過ぎて感じ無かったのかもしれませんが、新しい人が来て指導しているのを見ると道院長の指導の仕方はありのままを伝えるように見えました。
あなたは今このようにやっていてこの状態だと自分が不利になるのが解りますか?
だからこのようにする方が良いですよと言っているように思います。
思いを込めずにするというのが難しいなと感じます。
自分は人に何かを伝えようと思うと自分の方が優位にあるように話をしてしまっているように思うのです。
例えば薬を常用している人が居たとします。
その人に薬が悪いから止めた方が良いと言っても通じないのは解っている。
でも「飲んでも良いですよ」と伝えるのに本当は止めた方が良いのに残念だなという思いが乗っているのです。
そのような思いを込める事無く、道院長は嫌味のない言い方をされている。
自分自身は嫌味を言うつもりはないのですが、嫌味にしか聞こえてないのではないかと思います。
衝突するような方向にするのではなく、まずは相手がどのように進みたいのか?
どういう欲求を持っているのかを見る。
相手の中にあるものを引き出すようにするそういう意識を持つのが良いのではないかと思います。
引き出すのには自分の思いがあると邪魔であるとよく道院長は言われています。
引き出すためには、相手に気づきを促せるように自分が鏡になるようにすると言われます。
自分が鏡になろうと思っても鏡が曇っていては相手は何も気づけないでしょう。
自分の中身を磨いて余分な事をしないようにする。
そう出来れば自分の中の曇りが少しでも取れて相手に変化を促すことが出来るのではないでしょうか。

(沙門 記)

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