平成25年6月27日木曜日

今日は「小手抜」を行いました。
「小手抜」をする際に道院長に骨や筋肉で抜こうとしていると指摘をされました。
攻者に掴まれると全身を掴まれたように固まってしまいます。
掴まれてるのは一部分なのに全体にまで影響が現れます。何故そうなのか?

平常心という言葉があります。
その言葉は全く反応しないという意味ではなく、反応はするけれども余計な動きをしないという事だと道院長は言われました。
掴まれるのは腕だけですから全身を固める必要はありません。
他の部分は相手よりも自由に動く事が出来るはずなのです。
固まってしまうと相手に自分の何を握られているのかを感じる事が出来ない。
握るのでも特に力が入るのは親指です。親指が自分の腕の何処に当たっているのかをまずは感じる。

感じるには皮膚感覚を意識する事が必要となってきます。
無理やり抜こうとしている内は皮膚感覚は感じにくい。
鉤手に成る時に五指を張る。
五指を張らずに手を握ったままでは腕ごと固まってしまうので感じにくくなります。
なのでしっかり五指を張る。
掴まれても皮膚の下は自由に動く事が出来ます。
塊として意識するのではなく細かい物として使う。

意識をする場所を変えるだけで動きは大きく変わります。
日常ではどうしても目先の利益や自分の楽を求める事が多いと思います。
自分は特に損得ばかりで行動をしてしまいます。
ですが、楽を求めれば求める程に苦しみが自分の元によって来る事に気づきません。
気づけば苦しい方、苦しい方へと流れて行きます。
本来であれば苦も楽もありません。
判断しているのは自分です。どっちでも良い。
大丈夫と思えれば変わって来るのではないかと思います。
感じる事は人それぞれですが「何を感じているのか」、「何を感じていないのか?」意識する場所を変える事を日常から変えてみるのが良いのではないかと思います。

(沙門 記)

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