平成26年4月3日木曜日

今日は「切返小手」を指導して頂いた時に感じた事があります。
指導して頂いている途中で『「切小手」をする意味はあるのか?』と仰られました。
法形修練として「切返小手」をやっているけれども変化する意味を考えていないなと感じました。ただこうなったら「切返小手」の形を作るだけになっている。

「何でするのか?」
自分の中で常に問い続ける必要のある事だと思います。日々過ごしていると同じ事をずっと繰り返ししているように感じます。ですが、その中でも少しづつ変わっていくのが「何でするのか?」と問う事だと思います。
職場の上司に言われたのが「同じ料理を作るのでも、切り方一つでもを丁寧に見ていく事で一日一日積み重ねる事で全く違う物になる」
少しづつでも変化する為に日々創意工夫をする。こう切ったら良いのではないか?ここはこうするともっと良いのでは?とずっと考え続ける。ですが、日々の中でやっている事が、こういうもんだからこうしたら良いと考える事を止めている事があります。
そうなるとどうなるのか?法形修練と同様で技の進歩が無くなってしまいます。
「切小手」とはこういうもの。「切返小手」はこういうもの。常に同じ軌跡で攻撃が来るわけではない。でも攻撃は同じだから同じような形を作ろうとする。私の場合、力を入れ過ぎているので手首が痛むようになりました。始めは痛んでも、いや今までこういうやり方だったからこうだ。そう思って何とかしようと思ったのですが、ともかく痛い。今までこのやり方で出来たのに何でだろう?あまりにも痛くてそう感じました。痛みを伴って始めて自分のやり方は間違っているのだと感じます。痛みを気にせずやり続けていたらもっと手首を痛めた事でしょう。「何でするのか?」を問い続ける事をしていればもっと早く気づく事も出来たかもしれません。痛みが伴う前に気づく為にも日々自分に「何でするのか?」を考えてみたら技も日常も変わっていくのではないかと思います。

(K拳士 記)

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