平成26年5月21日月曜日

本日は道院長の帰山された時のお話と、大会の組演武の修練を行いました。

●道院長のお話し

先日、本山に行って教範を購入してきましたが、私が学生時代から使っている教範とはまた少しシンプルになっています。これは時代背景によるものだと思いますが、私はこの教範でいろいろ勉強しました。また、教範に載っていないことや気付いたことをびっしり書き込んだものです。
少林寺拳法は「人生の学問」であると私は思います。技についてはもちろんですが、整体や処世術、生き方についての全てがこの教範には載っているのです。
今、うちの道院は有段者が多いですが少林寺拳法は黒帯になってから本当の面白さが分かります。初段の人はその門をくぐったばかりと言うことになり、3~4段でピークを迎えますが、有段者はこれから「深める」ということを考えないといけません。深めてゆくということは、常に「疑問」を持つことです。自分のやっていることは本当にこれで良いのだろうかと疑問を持つ。そうすると技のかけ方にしても1つの技に1つのかけ方ではなく10通りのかけ方が出来るようになるのです。それが本当の学問なのです。それを、1つ出来ただけで分かったつもりになるのでは浅いのです。このように何に対しても意識を高めていってもらいたい。
黒帯になったら、私は細かいことは言いません。その代わり、自分で考え深められるようになっていって欲しいです。

〈本日の考察〉
本日、道院長は「深める」ということをお話し下さいました。私は昔から何をするにも不器用で人より遅くなってしまうことが多かったです。だからかもしれませんが、何事も広く浅くなってしまうような気がします。
人と同じように物事をするのにも焦りながら頑張ってついていっているので、形だけでも何となく合わせ帳尻を合わせるだけでヘトヘトになります。
だから「深める」ことへの憧れはすごくあるのかも知れません。

最近友達から「なんで少林寺拳法をやっているの?」と聞かれ考えてしまいました。最初の動機は“身体を動かしたい”という浅いものでした。もちろん武道にも少しは関心はありましたが、それ位でした。しかし、続けてゆくといつの間にか変わってきている自分がいて、その理由の1つに「深める型」を教えて頂けるからということがあります。
少林寺拳法でなくても自分を深める方法はあると思いますが、開祖はそれを体系づけてその基礎を創るための手段の1つに少林寺拳法を作られたのではないでしょうか。
今まで少林寺拳法をやってきていろいろなことに直面しました。その度にあがきながらも考え行動してきたことで、少しは深く考えられるようになってきたのかなと思うのです。
遠浅の海を海と思っている人は、それが底だと思って満足してしまいがちです。でも、実は海には深海もあって底知れない世界があり、深海には深海魚や宝物があるかも知れない…それを知りたい、掴まえたいと思ったら潜るしかありません。私は少林寺拳法をするまではその潜り方を知らなかった気がします。でも、潜り方が分かったらどんな海にも潜れるんじゃないかと思います。
今、思い返すと、出来ない自分で良かったと心底思います。人がつまずかない所でもつまずきますが、代わりに何とかしようと考えれるからです。
またまだ浅い自分ですが、これからも本当の深さを求めながら修練してゆきたいです。

(I拳士 記)

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