平成26年7月21日月曜日

「拳禅一如を体感して」

本日の修練では、先輩拳士のご指導の下、三段科目の復習を行いました。

中でも「片手投」を、長い時間を割いて、丁寧にご指導して頂きました。

「片手投」とは、少林寺拳法の技の中では数少ない仕掛技です。対構で相対し、守者が攻者の拇指丘に手をかけて、その拇指丘を返しながら、膝を崩すようにして鈎足で脇に入り、攻者の腰をくずして、倒します。

私が、その先輩拳士に相対し、「片手投」をかけようとすると、最初、先輩拳士はビクともしてくれませんでした。技がかからないどころか、私の顔を見て、ニコニコと笑っておられるくらいでした。

先輩拳士は「何故、僕が動かないのだと思いますか」と質問をしてくださり、私は、分からないなりに考えてみました。そして「やはり、私の動きのどこかが間違っていて、先輩拳士に影響していないという事でしょうか」と、自分の動きの問題点を尋ねてみました。

すると、先輩拳士がご指導して下さるには、私の中に「どんな方法を使ってもいいから、相手に技をかける」という「心がまえ」がないとのことでした。

つまり、「動き」というフィジカルな部分は今回は全く指導されなかったのですが、「心がまえ」というメンタルな部分について、時間を割いて丁寧に指導して頂いたのです。

ところで、少林寺拳法では、「拳禅一如」という言葉があります。これは、「拳」が表わす「肉体(=フィジカル)と、「禅」が表わす「精神(=メンタル)」は、もともとは一如のものであり、お互いを切り離すことはできないという意味であるそうです。

この言葉が表わすように、少林寺拳法の修練では、肉体と精神の修養を不可欠とします。それは、大きくは「少林寺拳法の技と金剛禅の教義の両方を学ぶことが大事」ということです。

しかし、それだけではなく、技一つ一つの中にも「拳禅一如」の真理があることは、いつも、道院長に指導して頂いています。

当たり前の事ですが、人間が動くためには、肉体というフィジカルな動きと、精神というメンタルな動きが組み合わさって、一つの流れが完成されます。

つまり、少林寺拳法の「技」という、決められた動きを行うにも、「フィジカルな動き」と「メンタルな動き」を、両方コントロールし、形にはめていかなければならないという事を、指導して頂いています。

先輩拳士が、今日、私に時間を割いて指導して下さったのは、「メンタルの動きをいかにコントロールするか」ということでした。

メンタルな動き…つまり、心の動きは、人から見えないし、自分でもコントロールしづらいところがあります。例えば、自分は意識して怖がるまいと思っても、怖くてたまらない事もあるし、頑張ろうと決めても、嫌々行動している時もあります。

今回、私は「片手投」を行う時に、フィジカルな面では「カギ足をして、相手の膝を崩すようにして入る」ように動こうとしていました。そして、メンタルな部分では「腕十字や片手投などの、相手の膝を崩して入る仕掛け技は苦手だし、怖いな。ほんとにこれで崩れるかな。とりあえず、相手の手首を返さなくては」というように「怖い・できるかな(不安)」という心持で技に挑みました。

そして、案の定、最初に書いたように、先輩拳士には「片手投」が全然かからなかったのです。

技がかからなかった要因として、先輩拳士は私のその「怖い・できるかな(不安)」という心持を変えるように、と、指導して下さったのです。さらに、技を行う時は「どんな状態でも大丈夫だ、と安心して技をかけるような心がまえを持ちなさい」と指導して頂きました。

そのように指導して頂いた時、私は何故か突然、目から涙が出てしまって、自分でもびっくりしてしまいました。

少林寺拳法は武道であり、ともすれば、危険を伴うものです。なので、技を行う時は、私からすれば「怖い」とか「できるかな(不安)」という気持ちが先立ちがちです。しかし、怖いと思っても仕方のない事なので、自分なりにできる範囲でやらなければ、とも思い、取り組んでいます。

私は「怖い」と思うけれど、先輩拳士は「安心、大丈夫」という心持で武道を行いなさいと仰います。

それは、例えは悪いのですが、私からすれば、大嫌いな蛇を前にして、「蛇が怖くないと思いなさい」と指導されるようなものです。

なので、最初は「そんなの無理です…」と思っていました。

しかし、少し考えてみて、「それは本当に蛇なのか」という疑問が浮かんできました。

つまり、「武道」というのは、そんなに怖くて不安なものなのか…というところです。「片手投」を行うのに、そんなに怖がって不安になる必要があるのか、という、疑問が出てきました。

結局、自分が「怖い・不安」と思い込んでいるだけで、現実の状況は私の頭の中とは違っているのかな、という、現実と思考のズレが見えてきたのです。

もう少し言えば、日常の中で、「怖い・不安」と思い込んでいる精神状態が、端的に道場で先輩拳士に相対した時に、出てきていただけなのかな、とも思いました。

すると、自分の中に緊張や不安や力みがあるのが意識されて、何故か涙が出てきたのです。
思いかえせば、最近は仕事や私生活で、緊張したり不安になることが多い日々を過ごしていました。
それが、技に出ていたようです。

先輩拳士に、一分だけ時間を下さいと頼み、ボロボロと涙をこぼした後、改めて「片手投」をかけさせて頂きました。すると、技がとてもスムーズにかかるようになっていたのです。

私も、何が変わったのか分からないのですが、技をかける時にそんなに不安や恐怖を感じなくなり、また、かけられる方の先輩拳士も「おお、かかりやすいな。さっきと全然違うよ」という感じで、技を受けて下さいました。

涙を流してスッキリした後、何らかの心持、心がまえが変化し、技が変わったのです。

先輩拳士曰く「ちょっとした心持の変化で、技はかかるのです」との事でした。そして「その心持を育てるために、日常生活をいかに大事に過ごすかだ」とも、指導して頂きました。

つまりは「日常生活=自分の意識状態」を確かめるのが、道院であるとのことです。

いつも、道院長が指導して下さっている事ではあるのですが、フィジカルな形、というのはとても大事ですが、メンタルの形というのも、非常に大事だというのを、改めて体感できた修練でした。

今日の修練をふまえ、自分の心を出来るだけ安心させてあげて「なにがあっても大丈夫」と思えるような心がまえを、日常で訓練していけたらと思います。

今回も、読んで頂いて、ありがとうございました。

(M拳士 記)

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