平成26年12月8日月曜日の修法記

今日は科目の復習を全体で行いました。
 「小手抜」をその際に行いましたがいつもと少し指導が違いました。
小手抜を実際に使ったらどうなるのかと言う事を考えながら行いました。
拳士同士の法形では相手は手を掴んで止まっている事が多いです。ですが実際に使おうと思ったら、相手は掴むだけでなく突き、蹴り、体当たりをするなど攻撃方法は多彩になります。そうなった時に果たして鉤手や目打で相手を止める事が出来るのでしょうか?
今日の修練の中でもいたのは思い切り引っ張って相手を動かす人もいます。
一番有効なものはどれかと話をしている時に道院長から指導がありました。

「掴まれた時に守者はどういう感覚でいるのか?お互いに攻撃してやろうと思うから固くなる。そうではなくて相手は自分を助けてくれる人だと思うと状況は変わる」と説明して頂きました。

 「自分の直ぐ後ろには崖があったとしましょう。それを攻者は掴んで引っ張って引き上げてくれる。攻者は自分を助けてくれる有り難い存在である。そう思うと助けてくれる相手に対して目打をしてやっつけようとは思いませんよね。」
 「対立しようと思うとその場に杭のように止まってしまいます。ですが、助けてくれると思うとその引かれた手についていくようになります。
その着いて行くのが差替足になり、歩みを止めない事が運歩法になる。」
 「また目打も相手にしようと思って出すのではなく相手が寄って来るようなイメージを持つと自然と相手が目打に近づいてくれるようになる。」
とも仰っていました。

修練をしていて感じたのは見方を変える事が必要だなと思いました。日常でも何でも物事の一面だけを見て自分に都合が悪ければ悪い事が起きたと思います。自分に都合の良い事は良い事が起きたと思う。良い事も悪い事も実際には紙一重の問題だったります。
「バカの壁」で有名な養老孟司の言うような「戦争が終わると一瞬にして価値観が変わった」という事が起きるのです。今まで良いと思っていた事が悪いことになる。「子供心に何を信じていいのか分からなくなった」とその時の体験を語っていました。

世の中の価値観、見方は直ぐに変わってしまう。ですが自分の中の価値観は自分次第です。人を対立する相手だと思えば敵になるし助けてくれる有り難い存在だと思えば同士になる。自分の見方を変えて人を味方にする事が出来れば日常生活も変わっていくのではないでしょうか?

(近藤健太郎)

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