平成27年1月19日月曜日の修法記

本日の修練では、基本稽古、胴突、胴蹴の後、新科目として「短刀振上流水蹴」を指導して頂きました。
「短刀振上流水蹴」を行う時、攻者は刃物を手に持ち、守者の前頭部に振り下ろします。その時、手に持った刃物は相手から見えないように自分の前腕内側につけて、隠します。刃物を隠した状態で相手に攻撃し、相手を油断させ、いざとなったら刃物で攻撃します。
また、守者は相手の攻撃に警戒しながら、しっかり腰を切って、前流水蹴の要領で、攻者の攻撃をかわします。そして、そのまま相手の水月を蹴り、きめます。

今回の修練では、「短刀振上流水蹴」の形の修練をした後、今度は、形どおりではなく、「実際に刃物を持った相手が攻撃をしてきた時に、どのようにして相手を制圧するか」という場合を想定した修練を行いました。
形通りの稽古ではありませんから、いつ、どこを刺されるか分かりませんし「何が何でも相手を倒す」という前提が必要です。形の稽古というより、柔法の乱取に近い修練を行いました。

ところで、今回の修練で特に感じたのは、「相手によって、自分の動きが全く違う」という事です。私は、普段の修練では形を稽古させて頂く事が多く、乱取のような想定外の動きの多い稽古は、あまり経験がありません。今回の修練でも、いろいろな拳士に相手をして頂きましたが、相手によって自分の動きが全く違うのです。

自分の感覚としては、大別して『手も足もでない相手』と、『なんとか向かっていける相手』がいました。前者の場合ははやく負けてしまいたい(笑)と思いますが、後者の場合はやる気を引き出されて、一生懸命向かっていく、という感じです。どちらが良いも悪いもないのですが、この差は、とても面白いと感じます。もちろん、私の事ですから、手加減をして頂かなければまともな修練も出来ないので、十分手加減はして下さっていますが。

このような、「自分は相手に何を引き出されるのか」を感じる事は、とても興味深い事です。

今回の修練では、私にとって『手も足も出ない相手』と『何とか向かっていける相手』がいましたが、つまりは『可能性を抑えこむ相手』と『可能性を引き出される相手』がいたのです。もちろん、武道ですから、どんな方法にしろ、勝った人間が正義なのです。なので、本当にどちらも正しく正解だと思います。
ただ、相手を自分に置き換えた時に、私は『相手の可能性を引き出す自分』というのを目指す少林寺拳法がしたいな、と、思いました。
元来、自分は武道に向いていないと思いますし、誰かを殴りたいとも蹴りたいとも思ったことがありません。こんな私が道院に参座させて頂いているのは、申し訳ないな、とさえ思います。時々、何のために自分が武道を行っているのか分からなくなる時もあります。

しかし、今回の修練でも思いましたのは、私は「少林寺拳法で相手を倒せるようになりたい」とは思わないけれど「少林寺拳法で相手の可能性を引き出せる自分を作りたい」とは思うという事です。

「相手の可能性を引き出せるような自分」という、その実力は、今、私が喉から手がでるくらい欲しいものです。
私は、自分の周りに大事な人が多く、いろいろな方から、いろいろな話を聞くことがあります。中には、辛い思いをしていたり、大変な境遇を頑張っている人もいます。
そんな中で、ネガティブな話を聞くこともありますが、そのネガティブな話の中にも、根底には「自分をもっとよりよく変えていきたい」という、強い思いが感じられたりします。
私は、大事な人なら、言葉の奥にある「自分を変えたい」という思いをしっかり汲み取って、どうしたらそれがもっとよくなるか提案したり、相手の気づいてない相手の良いところをみつけてあげたり、現実を変えるための方法を一緒に変えたり、と、そんな風にしてあげたいのです。そして、相手を元気にしてあげたいし、一緒にいい方向に向かいたいと思います。
しかし、それをどれだけしてあげたいと思っても、自分に実力がなければ、相手の話を聞くにしても、ネガティブな面に惑わされて自分がしんどくなったりします。

結局、弱ければ、大事な友人がつらい時に話を聞くことも慰めてあげることも勇気づけてあげる事もできないのです。

今回の修練では、そういった人間の関係性を、顕著に感じる事が出来ました。
修練でも、自分が弱ければ、相手と距離をとって最初からかからないようにするか、相手に好きにされて負けるしかないのです。けれど、自分が強ければ相手の可能性を引き出してあげることが出来るし、乗じて、自分の可能性も引き出されると感じます。

私は、人間関係でも、相手を分別して付き合う事はしないと決めています。もちろん、好き嫌いはあるので、嫌いな人には関わりたくありませんが。
なので、相手がネガティブな状況になっても、相手が悪いことをしていても、私が相手が好きなら、変わらず大事にしたいと思いますし、同じ目線で相手の問題に目を向けてあげたいと思います。けれど、それが出来るようになるためには、かなりの肚が必要ですし、実力が必要です。

そもそも武道が苦手な私ですが、そういった実力を磨くための少林寺拳法でしたら、もう少し、頑張れそうな気がします。
なので、そのような目標をしっかり意識して、今後も修練に参座していけたらと思います。
読んで頂き、ありがとうございました。

(村井仁美 記)

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