平成27年2月12日木曜日の修法記

今日の修練は八相構からの下受、一字構えからの半転身、両手寄抜、両手巻抜、一本背投より下受、一本背投より振捨表投、送小手を行いました。その中で感じたことを書こうと思います。

力を入れずに受け入れる。脱力とは違う力の抜き方。BBCの中に「歪めず、力まず、詰まらず」というのがあります。
日々修練をしていて感じるのは少し上手く出来る時には相手が軽くなり、相手も倒れ易くなる。
自分の力でなんとかしようと思う。倒してやろう。この蹴りを受けてやろう。どうしよう。と思っていると思った以上に相手が重く、力強く感じます。
この力強さが、よし頑張ろうという力みを生み、相手にぶつかって行くことになるような気がします。

相手はこちらの力みが頼りになるし自分自身もその力みを頼りに力を注ごうとします。
ですが、お互いに力でぶつかっていては力の強い方が勝つのは言うまでもありません。
自分にはまだ分からない境地ですが一つになる。よく仰られるのは相手の蹴りが自分を助けてくれると思う。
攻撃されると思うから自分自身が固くなる。
その固さが力みになり相手はその固さを頼りに攻撃をして来ます。言われたことを素直にする。手を降ろすだけと言われたら手を降ろしたら良いのですが、その降ろす動作一つでも自分の思う降ろし方になります。
降ろしながら相手の蹴りを掴んでみたりします。手で降ろすというのが吸収する動作になる。

日常でもそうなのですが、相手からくるストレスをどう受け流すかをずっと考えているのですが、技と同じなのではないかと思うのです。
どう受け流すかということは今あるストレスに対してどうやってみないようにするか。もしくは逃げるかを考えるのですが、今日感じたのは受け入れることはストレスそのものを自分の力に変える事が出来るということです。
道院長は呼吸で話をされていました。「相手のストレスを吸い込んで自分の力にして返す」

言葉で言うのは非常に簡単なのですが実際にやろうと思うとまず吸い込めません。
みぞおちまでしか呼吸がまず入らない。足首、膝、股関節、腰、胸、肩とあちこちが緊張している。
先日配って頂いた資料の中にも日常でも修練のことを考えるということが書いてありました。
修練の場であれだけ固くなるのですから日常でも同じように固くなっているのではないかと思うのです。だから日常的に自分の強張りを感じ不安を感じてしんどいと感じたら不安はエネルギーだとイメージし変換出来るような意識作り、身体作りをしていきたいと思いました。
また不安がエネルギーだと思うと自分の中には常に不安が色々あります。その不安に溢れた自分はエネルギーに満ちあふれているのかもしれません。ただそのエネルギーは使わないと自分の中で腐ってしまう。上手く使えるように方向付けをしっかりしていきたい。日常で還元出来るようにしていきたいと思います。

(近藤健太郎 記)

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