平成27年3月2日月曜日の修法記

合掌
今日の修練では、拳士とBBC研究生とで分かれ修練を行いました。
拳士はまず基本と胴突き・胴蹴りを行ったあと、法形研究に移りました。

横田道院長にご指導していただいたポイントを、技の種類ごとにまとめます。
●開構より、攻者逆蹴の攻撃を半転身でかわし、足をすくって後ろ手に倒す
…皆さんは、身体を開くことによって相手を動かそうとしています。しかし、足を使って身体を開くと身体の軸は両肩のライン二本になる。二本の軸で動くと、相手の二本のラインに影響します。そうではなくて、足を動かさずに自分の正中軸の動きだけで相手を倒します。

●小手抜の形から、後ろ倒し
…相手が手をひっぱりに来ても、抵抗しません。相手に頼って寄っていくイメージです。自分が消える、自分を無くす。すると、相手も「相手が消えた」と感じます。すると自分の引っ張る力が自分に返ってきて、自然と倒れます。
寄るときは、相手の正中線に真っ直ぐ入って行きます。すれ違うように入ると、対立関係になってしまいます。真っ直ぐ入るのだけれど、相手の背中を見るようなイメージです。実際に目で見ることは出来ませんが、心眼では見えます。
相手の背中を支えてあげるようなイメージです。

●両手寄抜の形から、後ろ倒し
…寄り方は小手抜と同じです。息を吸って、吐く。吸う時に相手に寄っていって、吐くと倒れます。
まずは腕をのばしておき、肘を丹田に少し寄せる。これが鉤手です。「吸収しよう」と思わなくても、この動きだけで丹田で吸収できます。
また、皆さんは両手をしっかりつかまれてから倒そうとしていますが、実際は皮膚に触れたと感じた時に動きます。

●両手巻抜の形から、前方崩し
…これも、まず鈎手で相手に寄っていきます。腕の操作で相手を動かそうとすると、動きが相手に読まれてしまいますので、手は軽く相手のお尻あたりを下から上に触れるような動きをするだけです。
正中線を使って相手を倒すイメージです。

●振捨表投(後ろ倒し)
…掴まれた方の手は、小手抜、もう一方の手は下受をするイメージで、息を吸って吸収、吐いて倒します。下受は、地へ流すイメージ、小手抜の手は上方へ上げて天へ流すイメージです。

●対構えで攻者逆突を上受し、後ろ倒しに倒す
…一字構というのは、相手の足を押さえておく構えです。ですから、腕を力んで曲げたりしません。スッと伸ばしておきます。練習として、相手のダン中(胸の中心)に触れるようにして腕を伸ばし構えます。そこから相手の突きが来た時に上受をする前の形になり、力を吸収します。
上受は、必ず肘を自分の正中線によせ、手と反対の耳の後ろから出すようにしなさい、と日頃教えています。それは、中心で力を吸収するためです。皆さんは最後の前に出る力で相手を倒そうとしていますが、この吸収をすることが大事です。

●千鳥返
…物事には、「原因界」と「現象界」があります。「原因」でまず意識があり、その結果「現象」となって現れます。
普通は、現象界しか見ません。しかし、現象界と現象界がぶつかると衝突が生まれます。
そうではなく、原因界を押さえるのです。
内受を行う時、普通は逆突を突かれてから内受を行います。これは、現象界同士で衝突しています。本来は、突きが飛んでくる前に受けを行います。
待機構から内受をするとき、スッと肘を中心に寄せます。つまり、鈎手になります。鈎手になるとは、相手を抱きしめる動きです。それを、突かれる前に行います。
すると相手は力が抜けてしまいますので、そこから目打ちなどの反攻撃を行うのです。
相手が突いてくるときは、突いてくるラインがあるのです。中心を真っ直ぐ突いてきます。そのラインに一瞬触れるようなイメージです。

(考察)
今回、横田道院長に教えていただいた動きの中でも、とても重要だと感じたのは正中線の動きと、きちんと中心で吸収する、という二点でした。
横田道院長の技を見せていただくと、あまり派手な動きも無いままに、パッと入った瞬間には相手が倒れています。
それでも、よく観察してみると、中心軸が巨大なコマのように一瞬大きく動いているように見えます。
対して、自分の動きを観察してみると、あまり軸が動いておらず、腕や足が必要以上にバタバタと動いています。
また、軸を意識しようとしても、無駄な力みがあるため中々大きく動かせません。
日々の鍛練と意識づけの繰り返しの中で、しっかり軸を養成していく必要があると思いました。
また、相手を吸収するということでも、例えば見た目では崩されたように見えても、力づくであったり、技のタイミングで力をはずすことによって倒されると、同じ現象でも全く違った感覚になります。
攻撃した力が衝突したり、自分自身の中でエネルギーが詰まったりなどして気持ち悪いですし、相手に対しても「悔しい、ムカつく」といった感情が湧きあがることもあります。
攻撃に対して無理やり力を加えると、目に見える世界では成功したように見えても遺恨を残します。
倒された相手も憎しみを抱え続けますし、倒した本人も、潜在意識下ではダメージを受けます。
しかし、力をしっかり吸収された時は、「倒そう」という邪気が消え、笑って転がれるようになります。
また、しっかりと吸収して相手を無力化することが出来れば、腕力は必要では無くなります。
これは、開祖が「少林寺拳法は女・子供でも出来る。老人でも出来る」とおっしゃっていたことと一致すると思います。
腕力で倒そうとする技では、とても不可能です。
また、精神というのは年齢を重ねれば重ねるほど深まっていくものですから、ますます技の深みは増していくものなのだろうと思いました。

現象界にばかりとらわれず、原因界を意識し、末端にこだわらず自分の中心を使って物事を成す。
そういう風な考え方や、身体の使い方が出来るよう、心がけていきたいと思いました。

結手

(嶋立歩美 記)

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