平成27年3月12日木曜日の修法記

今日は基本練習、科目の復習、学科を行いました。

副道院長の指導のもと行いました。
基本練習も新入門者がいるのでやり方も少し変えて行いました。
新入門の方が入るまでは基本を1回1回確認をせずに行っていましたが、今回は何を意識して行うのかを話をして頂きながら行いました。

前進稽古では間合を意識する、自分の拳が何処をついているのかを意識しながら行いました。

科目の復習では「流水蹴」、「内受突」を行いました。
「流水蹴」は高段位の人は攻者の意識を感じて、その上で行うように指導をされました。新入門にはまずは法形をしっかり意識して行うこと、足捌を意識しすぎて動きすぎないこと、引き足をしっかりすること、状態を崩さないようにすることを指導されていました。

「内受突」は高段位の人は攻者の攻撃をしっかりと崩すように相手の正中を意識するように指導されました。新入門には体捌の振身をしっかり行うようにすること、自分の顔面をしっかり守ること、守る為に自分の手の外側に入ること、内受をしてしっかり引手をすること、拳を突く時にしっかり足を寄せること、相手の突いた拳を押すイメージではなく、反対の肩を押していくイメージをすることを指導されました。

新入門の方と一緒に相手をさせて頂いたのですが、自分自身から何をアドバイスして良いのか?これをアドバイスして大丈夫なんだろうか?とずっと考えながら行いました。そんなに多くのことをアドバイスで出来たわけではないのですが、改めて勉強になるなと感じました。どういう状態が一番正しい少林寺拳法の法形の形なのか?自分自身の中で漫然としていたものを改めて見せられているように感じます。また一から考えていく良い機会にしていきたいと思います。

学科は井上恵以子拳士による「少林寺拳法の創始とその動機」についてをお話して頂きました。
戦後に中国から引き上げて来た開祖が見たのは、日本人同士が争うような戦前とは全く違う光景でした。このような状態では祖国である日本が駄目になってしまうと考えました。開祖自身が学んで来た拳法を使って社会に貢献出来る人作りをする。その中で井上拳士が疑問に思ったのは改めて「人の質とは何か?」について法座を行いました。
 法座の中で新入門の方が興味深い事を言われていたのが「人の質とはどんなことがあっても人を許すことが出来る人」ではないかと言われていたのが印象的でした。
 昨今、親を殺害する、近隣住民を殺害する、同級生を殺害する。そのような事件が多く報道される中で被害者のご両親や家族のような状況になった時に加害者を許せるような人になることは並大抵の事ではありません。
 以前道院長が海外の報道の話をされていました。子供を殺害された被害者のご両親がキリスト教を信仰されているそうで、記者会見において加害者を許しますと話をされていたことを思い出しました。道院長がこの時に「信仰の成せる技である」と仰られていたように思います。自分自身では許すと一言に行っても我慢する、忘れるような抑圧したものになりがちです。自分ではないものに預けるような感覚なのではないかと思います。
少林寺拳法では「極限の状態でも人を助けることの出来るような人」を目指しています。井上拳士は「今の自分の質でどれほどの事が出来るのか?」
自分を知る事を改めて実践していきたいと話をされていました。
私自身も今日の一連の修練を通して気持ちをまた新たに修練に望んでいきたいと感じました。

(近藤健太郎 記)

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中