平成27年7月2日木曜日の修法記

今日は基本練習、科目の復習を行いました。

「燕返」
自分の体勢を崩したものを相手に伝える。突を手で受けることを考えるよりも相手の攻撃をしっかり突かせる。相手の逆突をしっかり流せるようにする。受けに行くと相手に力を与えてしまうので相手がしっかり立つようになってしまう。手刀切を行う時には手を先に出すのではなく足から動く。手から出すと力が伝わりにくい。足を出すからしっかりと力が伝わる。その際に肘を横にしない。待気構になる時に動かす受けの動きをしっかりと使う。肘の曲げ伸ばしの動きを使う。相手との相互関係で成り立っているのだからそれを止めると相手の拳を受けなくても相手は崩れる。

「片手投」
右手を動かすというイメージを無くす。接触面を動かすよりも他の場所を動かして相手に力を伝えるようにする。腕十字でも同じことですが、手を動かして相手を動かすのではない。鉤足をしっかり作る動きが相手の手から全身に伝わるようにする。途中で形を確認して止まるのは止める。技を掛け始めたらゆっくりでも良いから最後までしっかりと掛け切る。掛手が自分の額の前にあるようにする。相手に背中を向ける時間を短くする。自分が反転する動きが相手に伝わるような位置関係、動き方をする。自分勝手に形を作ろうとしない。

「逆片手投」
片手投と同様に手を使うのではなく、足の動きをしっかりと使う。手だけでは相手に力は伝わらない。足の動きがあって始めて相手に動きが伝わり始める。力でやるのでは技ではない。力でするのなら技として成立しない。相手のことを良く見て行う。自分の動きがどう相手に伝わるのか。止まらずに行う。

今日は稽古をしている途中に副道院長より「お前のそれは技ではない」ということを指摘して頂きました。何がどう違うとは仰りませんでした。なので自分の中で何が違うのかが分からなくなりました。
ですが、一緒に組んでいた拳士に力でやっているのではないですか。と言われてなるほどと思いました。自分では力でしているつもりはなくても相手は女性の拳士です。自分の思っている以上に力でも技がかかってしまいます。そうなると技としては成立しません。相手を倒すことを目的にしているわけではない。あくまで技として行うためには相手との協力関係が必要になります。自分勝手にしているのでは効果はありません。相手の攻撃があるから技になる。相手を見るからこそ相手の動きに合わせることが出来る。相手を見ないで自分の中でこういう形を取るということを考えているから力技になると感じました。自分は力があるからそういうことが出来てももし相手が自分よりも力のある人だったら力技では無理です。だからこそ力を使わずに技の理を使って相手に影響を与えるためにはどうしたらいいのかを考え続ける必要がある。自分の中でこの技をこういうものだというのがあるとそこで止まってしまう。この形であっているのかを自分の中でずっと考える必要性があるのだと思います。ご指導頂いたことは直ぐには分かることではありませんが、自分の中でずっと問うていくべき問題なのだと思います。自分のやっていることは合っているのか?日々確認しながらまた道場でまた学んでいきたいと思います。

(近藤健太郎 記)

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