平成27年8月20日木曜日の修法記

合掌

本日は基本を行った後、復習科目「巻抜」「両手寄抜」「水月返押倒」と新科目「蹴天一掬投」を行いました。

巻抜
手首を持たれた時に後ろや右に動かずにかける。
両手寄抜
持たれている手首ではなく肘の使い方を意識する。
水月返押倒
水月を打った手を引き上げる時に、腕ごと上げるのではなく肘から抜くと手首も返り上げやすくなる。

蹴天一掬投
攻者上段の逆突と中段の廻蹴
守者左中段構から右拳で外受け、両足をこちらの両手で掬って(左手は三陰交を掬い、右手は顔面を守るようにしながら足三里を押さえる)→左足で金的蹴→手刀しながら左足を一歩差し込んで足を上げ投げる。
☆相手の両足の血海の間に手を入れるようにして掬うと、相手の動きは止まります。

〈考察〉
本日、教えて頂いたことは「有段者は今まで通りの動きをしてはいけない」ということでした。巻抜一つをとっても、横や後ろに引かずに技をかけるようにしなさいと言われましたが、私はどうしても体が引けて動いてしまっていました。自分が動かずに相手を崩すには、相手の動きを邪魔しないように動くことが重要になってくると思います。そして、邪魔しないようにするにはどうしたら良いのかをずっと考えていました。手を持たれると、作用されている所ばかりが気になりそこをどうかしようと動かすのですが相手はついてきてしまいます。副道院長に「持たれている所は相手にあげるイメージで、その他の所を使うようにしてみなさい」と言われて、ハッとしました。攻撃をされている時は、その部分しか意識がいっていない自分がいたからです。だから、どの技でも毎回似たリアクションしかできなかったのだと思います。
 そもそも、今まで通りのことをしないということはどういうことなのでしょうか?私は今までは形を模倣することを意識してきました。私のような女性の場合は特に力では技はかからないことが分かっているので、形を少しでも道院長や先輩拳士に近づけるようにすれば技がかかるんじゃないかと思っていたからです。完璧に模倣すればかかると思っていたのですが、完璧に模倣することは本当に難しいです。なぜなら、形だけでなく例えば技をかけるタイミングや微妙な体重のかけ具合、足の運びなど自分が相手を見て思った以上の要素で人の動きは成り立っているからです。
 今回の副道院長の「今まで通りの動きをしない」という言葉の意味は、自分が見てやっている形がこの技なんだという固定観念から離れ、形だけでなく見えない感覚や意識していない部分を意識してみなさいということだと思いました。
 日常生活でもどこでもそうですが「いつもこうしているからこう」というような自分が作った枠や固定観念、思い込みなどで何気なくやってしまっていることは多くあると思います。しかし、それで何か上手くいかなかったりしっくりこないことがあれば、そこから脱却する視点を持つことが大切だなと思いました。修練でも日常でも自分の「枠」を外し、取り組んでゆきたいと思います。

結手

(井上恵以子 記)

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