平成27年9月17日木曜日の修法記

本日は基本と「受け」を行った後、復習科目の「蹴天一掬投」「袖巻返」と「袖口捕」を行いました。

副道院長には以下のように教えて頂きました。

基本では、まず正中線をかわす体になることと、受けの時に受ける手とは逆の手を意識することを教えて頂きました。例えば、上受をする時の受けをする手とは逆の手を引く。するとより受ける手が出しやすくなります。

袖口捕
相手の手をコの字の形にすることを意識します。そして、手だけを動かすのではなく右肘を相手の腕につけにゆくように出します。この時袖口を回して相手の腕を越えてもかからないし、越えなくてもかかりません。

【考察】
 副道院長は本山に行かれていますが、その還元をして下さっていることを感じます。ご自分が学ばれたこと、その場の空気、いろいろな良いものを伝えようとして下さっているのだと思います。自分が学んだことを自分のものだけにせず周囲に伝えることが学んだことを本当に生かすということなのだと思いました。
 最近、私は自己確立の大切さを改めて感じています。人は誰かを助けたいと思っても自分がブレていては真の助けとはなりません。ただの傷の舐め合いか、相手を助長させるだけになってしまうと思います。
 本日は私が前に立たせて頂き基本的をさせて頂きましたが、仮にも教え導く立場に立った時、私がブレてはいないだろうかと自問自答していました。今まで教えて頂いていたことを還元できているだろうかと。たどたどしいながらも前で指導している私を、入門して間もない方々を始め、道院のみなさんが聴いて体現しようとして下さっている姿に逆に励まされありがたいなと思っていました。
 誰かを助けたいと思うのは人間の持つ素晴らしい特性であり、良いことだと思います。しかし、それ以前に自分をより深め大切に思い慢心することなく成長させ続けることが大切なのではないでしょうか。
 私も以前は誰かの助けになりたいと思っていましたし、自分を犠牲にしてでもなんとかしてあげてしまうタイプの人間でした。今でもそういう所はあります。しかし、浅い自分が出来ることなど知れていますし、ともすれば一緒に溺れてしまう可能性もあります。そういう経験はしても良いと思いますが、私がそこから学んだことは、自分を大切にできない人は他人も大切には出来ないということです。
 以前の私は自分のことを好きではなかったですし、大切にもしてこなかったと思います。大切にすることがどのようなことなのかも知りませんでした。
 自己を確立することは、依り所になる自分を確立する、ひいては自分を好きになることに繋がるのだと思います。どんな自分もまずは受け入れ認め許すこと。そこからスタートし、自分の中心(自分にとって本当に大切なことは何なのか)を造ることが半ばは己の幸せをに繋がり、その自分を確立することで半ばは他人の幸せに繋がるのだと思います。
 入門して7年。最初は身体を整える為に始めた少林寺拳法ですが、今、振り返ってみて改めて自分の人生を確立するために欠かせない教えを頂いていることに感謝と、このご縁のありがたさを感じながら自分が学んだことをまた周囲の方々にも還元出来るようこれからも修練してゆきたいと思います。

(井上恵以子 記)

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