平成27年9月28日月曜日の修法記

合掌

この日の修練では、まず全体の基本稽古の後、各クラスの拳士に分かれて法形修練を行いました。

今回は、副道院長指導の下に、級科目・剛法を中心に体捌きの研究を行いました。
まずは、開足中段から受け手の練習を行いました。
受け手は、手から弾きにいきがちですが、まずは体捌きで攻撃をかわし、手は肩のほうからさすってくるようにして内受・下受を行いました。

次に、外受突を行いました。
攻者は、相手にしっかりと突き込みが出来る距離まで間合いを狭め、相手に「危ない」と感じさせるような攻撃を行います。
守者は、それに対して外受で相手の突きを反らし、相手の体勢を崩すことを目標とします。
しかし、手の動きだけで相手の突きを動かそうとしても、自分が崩れて相手が崩れず、という状態になってしまいます。
そこで、体捌きで柔らかく受ける練習として、受ける瞬間に前足を浮かし、自分の足が地面に着く前に受けを行うという練習を行いました。
受ける瞬間に足を踏ん張っていると身体が硬くなり、それがブレーキとなって受けのエネルギーが相手へ伝わりません。前足を浮かせると自分の体勢が不安定になるため、自分の体重がほぼ全て受け手に乗ることになります。
そのため、足を浮かせるだけで容易に相手が崩れるようになり、その後の当身は最小限の力で済みます。

私の最近の修練のテーマとして、「三徳はいかにして得られるのか」と、「最強ではなく、無敵を目指す」という二点があります。
格闘技として武道をとらえると、体術を手段として最強を目指すというベクトルになってしまいますので、「対立」の力を増すための練習となってしまいます。
対立の力とは、言うなれば「相手を黙らせる力」と言えるかもしれません。自分の腕力を高め、相手を無理やりに痛めつけて倒す。最強になるためには、その力を増強させていけば良いのです。

しかし、無敵を目指そうとするならば、目の前の敵が殺意を無くせば、無敵となります。
殺意を無くさせようと思うならば、相手の脳や心に働きかけ、あるいは潜在意識に働きかけながら「殺意」というネガティブなエネルギーを解放させる必要があります。
肉体は魂の入れ物であるという認識の上に、肉体に働きかけながら心を変化させるためには、衝突してはいけません。衝突すれば、相手の対立意識を高めさせる「交感神経」が優位になってしまいます。
禅林学園前理事長の山﨑博通先生も、「相手の脳をアルファ波にさせるようなイメージで相手を転がす」とおっしゃっています。
そういう意識の中で技を掛け合えば、「健康増進・精神修養」、結果としての「護身と練胆」に繋がりますので、三徳兼備とも矛盾しません。
また、横田道院長も、「相手にアホと言われて、アホと言い返すと、相手は“何だと!”と怒ります。しかし、アホと言われてニコッと笑い返すと、相手は何も言う気が無くなります」とおっしゃっています。
相手の邪気を受け入れることで、邪気は解放されてしまうからだと思います。

前置きは長くなりましたが、前述のように受ける瞬間に足を浮かせることで、股関節が緩み、骨盤が緩み、全身が緩んで脳がリラックス状態になります。
攻撃する者としては、相手が丸太棒のように固まってくれた方が突きやすい。
「ある」と思うからこそそこを頼って突きにいくのです。
それが、相手が柔らかくなることでまさに「のれんに腕押し」状態になりますので、「殺意」の拠り所を失ってしまう。
「ある」と思ったものが「無くなる」。そこに意識的・身体的な「虚」が生じます。ここに当身を入れるのです。
ある道場で、道院長が一生懸命武道について教え語っているところに、トコトコと子供が近寄っていってその大人のお腹を、不意にポコンと叩いた。
すると、大の大人がうずくまるほど当身が効いたという話を聞いたことがあります。

「ある」と思ったものが「無くなる」というのは釈尊の「空」の教えであり、これも仏教の教えを根幹とする金剛禅の教えと一致します。

以上は教えていただいた体捌きを基にした私の考察ですが、同じようにして内受突、燕返、外押受突を行いました。
特に外押受突では、受け手にばかり意識をするのではなく、当身の手が相手に触れることによって倒れるという作用がありますので、受けと当身(中段突)を同時に行うようにします。
そのための練習として、相手が「入ってきた」と思う瞬間に相手の手首(寸脈)と肩を両手で触れにいきます。
これも、相手にぶつかりに行く意識で行うと相手はより強くなりますが、柔らかく受け入れるイメージで、スッと入って柔らかく触れると、相手は腰から力が抜け、足が止まり、コロンと転がってしまいました。

その後、各段位ごとに技を変えて法形修練を行い、私は四段科目の「半月首投」を行いました。
この技の難しいところは、①振突をどうやって受けるか②頚中への手刀によって、いかにして相手を倒すか、の二点にあります。
これまでの科目修練のなかでも分かった通り、、相手の攻撃をバシンと強く受けると相手の体幹に力が入り、その後の崩しが難しくなります。すると、後は強く頚中へ当身を入れざるを得ませんが、これは危険で痛みが伴い、修練の継続が出来ません。これは「自他共楽」や「健康増進」の教えとも相反します。

副道院長には、相手が振突で入ってきた瞬間に、まず体を返すことで相手の意識を吸収し、それから半月受を行うようにと教えていただきました。
相手を吸収することを心がけながら体捌きで半月受を行うようにすると相手が体勢を崩しますので、その後は軽く手刀を頚中に当てておいてから身を振れば、相手は転がってくれます。

このように今回の修練では、法形科目を「力を吸収する」というテーマの中で体捌きを研究する内容でした。

戦中・戦後の時代とは違い、現代は平和な世の中ですので、平和な時代の中では「コミュニケーション能力の高さ」のほうが「戦闘力」よりも重宝されるのだとテレビで言っていました。
相手にとっても、自分にとっても楽しく笑っていられるような、そして共に成長して行けるような身体的コミュニケーションが、少林寺拳法の法形によって成されるのであれば、今とは違う時代を生きておられた開祖の根源的な視野と同じところを見ることになり、相手を痛めたり苦しめたりしなくても相手を倒せるという武的要素も兼ね備えながら、「ダーマの加護を得る」という大きな目標に収束していくのではないかと思いました。

以上です。ありがとうございました。

結手

(嶋立歩美 記)

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