平成27年10月1日木曜日の修法記

今日は基本修練と科目の復習を行いました。

基本修練では開足中段構より振子突、前千鳥足より順突を行いました。
特に指導して頂いたのは、胴突、胴蹴を行う時に相手にどのような影響を与えているのか?ということです。
防具だけを突く、蹴るだけにならないようにする。何本突け、蹴れと言われてただやっているのではしんどいだけですし、何も考えなくなってしまいます。
受ける側はただ突かれるだけではそのタイミングに合わせて身を固めることが出来ます。その為、大して影響を与えることが出来ません。
そうではなくて受ける側が身構える事が出来ないような状態を作らないといけません。
その方法としてまずは形をしっかりと作ることです。
自分の突いている拳がどの方向から出ているのか?肘が横に向いて横から突いていないか?しっかりと自分の正中線から出ているかを確認します。
その上で振子をした時に突く拳の反対の股関節の力を抜いていくことです。
ありがちなのは股関節を固めたり、踏ん張ってしまうと力が逃げてしまうとともに相手に攻撃が来るというのを悟らせてしまいます。
その動作を止める為に形を作ること、踏ん張らないことが重要です。
自分が合掌をして肘を伸ばした範囲以上に拳を出そうとすると自分が崩れます。
なので他の場所を使います。
股関節、膝など下半身を主に使って行うと手先だけで突くよりも遠くに突く事が出来るようになります。その力を使うことも重要です。

股関節を抜く動き、正中線から拳を出す形を意識しながら前千鳥足より順突を行いました。この時にも股関節を抜くことを指導して頂きましたが、前に入るのでも最短距離では入る事が出来ていませんでした。遠回りをする為にどこか速度が遅くなり、相手に影響を与える事が出来ません。一歩前に入る動きの難しさを改めて実感しました。
力を使わないようにと副道院長には指導して頂くのですが、無理矢理押すような突きしか出来ず、押した力がそのまま自分に返ってくるような感覚になります。

科目の復習では燕返、下受蹴小手投、突天一を行いました。
燕返のポイントとしては早い動きでの受けと反撃です。この時に攻者の攻撃を躱すことに意識がいくと遅くなります。また内受をする時に手首と肘を縦にして使わないと効果が無いと指導して頂きました。特に言われたのが躱し過ぎないということです。
拳を受けようと思うと身体が崩れます。あくまで受けは拳を受けるものです。
なので伸ばしている肘を曲げる。その動きで攻者の攻撃を吸収するようにすると躱す必要が無くなると教えて頂きました。
イメージとしては相手が逆突を突いてくる前に順突を突ける状態にする。
受けると思うと受身になってしまい遅くなります。あくまで自分が優位な状態から攻撃出来るような心構が必要ですと教えて頂きました。

下受蹴小手投の時に指導して頂いたのは攻者の攻撃が来るのを感じることをしました。攻者から攻撃が来ると思ったら中段を守るように下受をすると相手が少し崩れます。
その時に小手投をする。拳を受けていたのでは相手は何が来るか分かるので身構える事が出来ます。ですが相手の突こうという思いを受けると不思議と相手の力が抜けるのは面白いです。

突天一でも先を取ることを指導して頂きました。
攻者の攻撃を受けることが意識されやすいからか一字構で行うのではなくイメージとして待気構から順突を突けるようにする。自分の上段を守るようにして行うことで攻者からの上中二連突を止めることを指導して頂きました。

今日感じたのはイメージの力とは強いということです。
燕返の時に副道院長は錫杖の先を常に相手に向けておくようなイメージを思って行うと指導して頂きました。その際に以前、道院長が教えて下さったような錫杖を持って燕返を行うことをイメージすると不思議と相手に影響を与える事が出来ました。いつもであれば自分の力を使って行う所をそこまで力を入れずに出来る。また相手のここを狙うというイメージがあるからこそ自分がその方向に向いているのを感じる事が出来ました。どの技でも言えることなのでしょうが、自分の正中線を守る。自分の正中線から攻撃が出ると力は別物になるのだと思います。ただそうならないのは自分自身のこういう風に突きたいという思いが形になっているからです。
そうではなく自分が今しているのは少林寺拳法であると考えるとその形を作らなければ法形として成立しないということです。
こういうものだと思っていると進歩しなくなってしまいます。もっと変化をしたいと思ったら不思議と変わっていくのではないでしょうか。その為には自分がどこを突いているのか?どのような形になっているのかを意識する必要性があります。ただ、基準になるものが無いと身体がバラバラに作用してしまいます。錫杖などを使うとその動きが明確になるのではないかと思います。錫杖は自分の背丈よりも大きいので振り回されるようだと身体の動きは出来ていない。振り回されないような形に近づくことが法形修練の近道になるのではないかと思います。

(近藤健太郎 記)

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