平成27年12月21日月曜日の修法記

皆さまこんにちは!
暖冬で、毎日暖かい日が続いております。スーパーエルニーニョ、モンスターエルニーニョの影響だとの事ですが、友人は雪が無くてボードに行けないと嘆き、また農家は規格外に育った巨大な大根、白菜に頭を悩ませております。私にとっては暖かい冬を有難く感じますが、立場によって思いは様々ですね。

今年も残すところあと二回の修練となり、また今日は和歌山の道院の方を交えての修練となりました。
初めの1時間は各自法形の復習をし、習熟度に合わせて横田道院長より適宜ご指導を受けておりました。
その後、全体修練に切り替え、二人一組で相手の力を抜かせる修練に移行しました。
『相手の力が本当に抜けて倒れる時は、必ず膝が緩んで下に崩れる。気を失うような形でガクリと力が抜ける。意図的に相手を倒そうとしても相手とぶつかり、結果倒れたように見えてもそれは倒れたとは言えない。倒そうとすると相手は後ろに倒れやすくなるが、本来なら下に崩れ落ちるはず。出来ているかどうかはその辺りでも判断できる』
『倒すのではなく、相手を寝かしつける、または包み込むようにかける』
というような内容でした。
色々な状況を想定して修練に励みましたが、その中で特に印象深かったのは、相手の背後に回り、相手の後ろから両肩に手を当て、真下に崩す修練です。
相手を上から押さえつけて倒そうとすると相手が緊張してしまい逆に相手が強くなって倒れなかったのですが、私が道院長にかけて頂くと、倒される前にはすでに自分が緩んでいる感覚があり、そこで軽く手をかけられると下に崩れるように倒れてしまうのです。
つまり先に力が脱力させられた状態になり、倒されないように踏ん張ることが出来なくなるのです。
簡単に言うと戦意喪失です。
これを少林寺拳法でいう『気の先』というのでしょう。争う前にすでに終わらしている。つまり結果的に争わないのです。これをよく道院長は『無敵』と表現されます。
『最強になろうとしなくて良い。無敵を目指す方が断然より良い人生を送ることが出来る。無敵は敵がいないこと。常に何かに脅えることもない。自分の周りが敵ではなく、味方に変えれる人生を歩んでください。』と。
武術とはもちろん如何に相手を早く、または効率よく殺す、または倒すかを極める事です。少林寺拳法もどうしてもその部分が主になりがちです。
しかし、武術を修め、深めた先に無敵となる境地を目指す、見出すならそれは間違いではないでしょう。
しかし深めた先が最強ならば、それは自身の破滅に向かいます。
そういう意味で、同じく少林寺拳法を学ぶにしても指導者の質、または学びの方向性によって、その他拳士たちの辿り着く先が変わります。
私もいち指導者として、常に方向性がブレていないかを検証し、良い影響を拳士へ与えていけるよう、日々研鑽したいと思います。
今年も残すところあとわずかですが、皆さん共に私も頑張りたいと思います。
有難うございました。

(福原秀俊 記)

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