平成28年12月24日木曜日の修法記

本日は基本の後、BBCと新科目「外受段突」を行いました。

推手
 相手が押してきた時に自分がどこで詰まらせているかを感じてみて下さい。また、相手の動きの邪魔をしないよう意識します。
 やっている間も足が浮いたり、踏みしめたりして足に力がすごく入っているのです。そうすると腰や肩に力みが残り、身体を壊します。手を合わせていても、意識するのは「背中」です。前を意識するのではなく後ろを意識する。すると地に足が着き、力が抜けます。
 また、道着の音を意識してみて下さい。普段着ている洋服は密着性があり、服を着ていることをあまり意識しないようにできています。しかし、胴着は空間があり衣擦れします。通常、服を着ていてもあまり音はしません。しかし、道着は動くと音がします。真っ直ぐな軌道を素早く動かせば良い音が出る。これを指標に自分は早く真っ直ぐな軌道を描いて突きや蹴りを出せているか、無駄なく動けているかを観ます。

外押段突
外押受突に似ていますが、段突では受手と同じ手で反撃します。受ける時も受けた手で相手を弾いたり止めるのではなく、相手の動きを流してあげると相手は崩れ、動きも止まります。そこを反撃するのです。
この技は片方が壁だったり、他に守る必要のある人がいて片手が使えないといった想定の時に使う技です。

実は私は数日前から左肩が痛くなり上がらず、この日はほとんど動かせない状態でした。なので、修練に行っても技は出来ないだろうし、見学も仕方ないかなと思っていました。そして、そのことを副道院長にお伝えしたところ「動ける範囲で動いてみて下さい」と言って頂きました。
「動ける範囲」とは今の私の場合はどこまでなんだろう…。まずはそこを知ることからしてみようと思いました。なぜなら、無理をするのではなく自分の出来る範囲を知り、最大限に動かす…これが大切なのではないかと思うからです。一度無理をしてしまえば、その場は良いかも知れません。しかし、そのことが後々の自分の身体を壊したり、戻るのに時間がかかっては次の修練もままならなくなる可能性もあり本末転倒です。
 昔は無理をして頑張ってしまう自分がいましたが、今はそこが大切なのではないと思っています。まずは修練の「場」に自分がいないと意味がないだと思います。昔、体調を崩して休んでしまった時に、道院長から「意識の方向性が大事です。まずはその方向に意識を向ける。だから、まずはその場に来ること。その方向性から逸れないこと。逸れているなら逸れている自分に気付くことが大切です。そしてその場にいる師や仲間に触れることで軌道修正してゆくことが大事ですよ。」と教えて頂きました。
 今回、自分の腕が上がらなくなったことで、日常自由に動けることの有り難さを知ることも出来、身体が力み過ぎている私にストップをかけたのかも知れないなぁとも思いました。副道院長からは「使えない部分を使えるようにしようと無理をするのではなく、使える部分を使ってゆくうちに使えない部分も使えるようになってゆくのですよ。」と教えて頂き、動かせない手を動かそうとするよりも、より良く動かせる方を動かすことを意識しようと思いました。
 人はつい欠けている部分を気にしがちですが、満たされている部分や出来ている部分を認めて伸ばすことを意識すると、自然に欠けている部分が気にならなくなるものなのかも知れません。
 今年最後の修練でこういった出来事に見舞われたのも何か意味のあることなのだと思います。来年もより深めてゆき、沢山の気付きを得れるよう精進してゆこうと思います。読んで頂きありがとうございました。

(井上恵以子 記)

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