平成28年5月9日月曜日の修法記

今日も6月の大会に向けて組演武の修練を行いました。

私は新しく入門した少年2人の指導を行いました。
一般の方ばかりの道院だったので少年2人が入ってくることは新しい風がきたので嬉しい限りです。
指導されることはあっても指導する側にまわることは中々無いのですが、改めて指導することの難しさと楽しさを実感します。
 一番難しいと感じるのは自分自身がやっているのが本当に少林寺拳法なのだろうかと思うようになります。
道院長はよく指導して指導した相手が出来て始めて出来たと言えると仰られます。
こちらの言うよう2人はやってくれますが、どこか自分の思っているのと違う。

先輩拳士の指導されていた姿を思うと型にはめることの難しさ、大変さがよく分かります。でもそこが一番楽しいのだと思います。
先輩拳士の例で言えばこの人にとって必要なことはなんだろうかと考えて型にはめさせるように指導をしていく。動き一つとっても出来ていなければ出来ていないとはっきり言われます。別の人に指導される時は出来ています。大丈夫ですよとよく言われます。その人の求めるものを見て指導をされているのだと感じます。
また出来なかったことに怒ることもありますし、怒らない場合もあります。
仮に怒ったりしても必要以上に怒りません。お前の○○が悪いといったその人自身を否定することはありません。
もし自分が同じ立場だったらきっと感情を入れてしまいそうです。

指導させてもらうにあたって相手をどう育てるかを考えることは、自分自身を育てることに繋がっていくように思います。
法形の修練でも、基本諸法でも自分のしていることの確認をする。
言っていることをやってもらう。出来たのならやり方に間違いはない。
でも出来なかったら次を考えておく必要があります。
出来ないのを相手が悪いと責めるのはおかしいですから、自分の指導力不足を考えないといけません。先輩拳士の方達も色々な人を指導してきたから今のようになっていったのを思うと自分が指導する側になることは楽しいように思います。
まだまだこれからやっていくにあたって課題は山積みですが、自分を育てることの第一歩と思うと楽しく少年2人とも修練していきたいと思います。

(近藤 健太郎 記)

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