平成28年5月19日木曜日の修法記

本日の修練では、道院長より氣合について指導していただきました。

現在組演武の修練を行っていますが、構成のはじまりからおわりまで、もちろん氣合を出しながらやっています。その抑揚を意識して行うようにしていましたが、そもそもの大きさが全く足りていないということでした。

まず、道場の壁と壁の距離で向かい合い、振子突を行います。片方が振子突を行い、次にもう片方が振子突を行い、相手の氣合よりも大きい氣合を出すようにします。それを何度も繰り返し、指数関数的に大きい氣合を出していくという修練です。
私は鳩尾で氣合がつまっていると言われたのですが、自分自身でもその感覚がありました。氣合は、丹田から鳩尾、壇中、喉を通って出すイメージを持っていましたが、修練している中で、足の裏から出しなさいということを指導していただき、そもそもの出処が浅かったということに氣がつきました。
修練で氣合を大きく出していく上で、声が枯れたりするのはよくない例ですが、はじめのうちは修練が終わった時に普通に話すことができないくらい氣合を出すことで、次第に氣合が出るようになるとのことでした。

息を飲むような演武をするためには、手足や身体の動きでは説明がつかないものがあるのだと思います。内面の氣が滲み出るものであり、風格であり、それは普段から練っているかどうかであると思います。
決められた動きの中であれば相手の攻撃を避けられると思われているようでは間違いで、そうではないやりとりをする必要があり、その意識と氣合が合わさった時に、はじめて一つの形になるのだと思いました。

それ以降、特に氣合を意識して修練を行っていますが、身体に力を入れているわけではないにも関わらず、体温の上昇が早くなったように思います。不可視のエネルギーの循環は自律神経にも作用しており、氣合が出るとか、もしくは呼吸が通ることで、可視のエネルギーまでが活性化されているなと、身をもって感じています。

(梅田 海来 記)

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