平成28年6月27日月曜日の修法記

今日は道院長の指導のもと修練を行いました。
まずは2人組になり氣のキャッチボールを行いました。
途中で横田道院長の法話がありました。

 人間は考えているようで何も考えていない。偉大な発見をしてきた人達の言葉を思い出してもそうです。大概の人達は自分は何も考えていない。突如として思いつく。急に分かった。など自分の力では考えていないことを話しています。ですが私達は自分の頭で何かを考えていると思っている。この道場にいてもそうです。今この場にいて考えていることと自分が自宅にいて考えることは全く別のものになっているはずです。そう考えると人の考えというのはその場所にあるものを拾っている。脳は考えるものではなく周波数を合わせる受信機のようなものだということです。なので自分の考えを持っているというのは違います。

禅というものは単純なものに礼を尽くすということです。
その中に動禅と静禅がある。動きのなかで座禅のような境地に至る。それは今やっていた氣のキャッチボールでもそうです。法形修練でも黙ってずっとやり続けることでその境地に至ることができる。ただ今多いのは途中で手を止めてあれやこれやと話をして法形の修練をしている。そうではなくずっと同じことを繰り返すことが大事です。

そんな中で静禅として二人で向かい合って座禅を行いました。
シーンとする中で突如として打棒の音が道場に響きます。

「誰も気合を出せないということは肚が出来てないということ」
「打棒の音がしたら気合を出すことが少林寺拳法の拳士としては当たり前にできなければならない」
「誰も出ないということは少林寺拳法のようなものをしているのであって少林寺拳法をしているのではない」

と仰られました。

「『少林寺拳法とはこういうものだ』とマンネリになる。そして『こんなものか』と考えるようになる。そうではなく自分のやっているのは本当に少林寺拳法なのか?自分のやっていることを常に見返すことが大事です。」
「実際に自分がやっているものが正しいかどうかはこういう咄嗟の時にでる」

道院長の話はいつも深いものばかりです。
自分は今少年部の指導をさせて頂いているのですが、このような深い話が出来るとは思いません。指導をするのでも枝葉しか教えられていないのではないかと思います。今日は道院長が少年部も少し指導してくださったのですが、指導するところが的確なのか少年達の動きが直ぐに変わります。
その時は内受突を行っていたのですが、道院長は「相手の正中線に自分の正中線を合わせるようにしなさい。合掌をするのでも相対で向かい合うのでもまずは相手の線に合わせる。」
そう言ったあとからは形そのものが綺麗になり立ち姿も違います。
それを見て指導するとは言葉だけではなく、その場の空気を作るということが一番大事なのだと思います。
今日の法話でも場によって思考が変わるという話をされていました。そう思うと場を作ることが出来れば指導する内容が同じだったとしても全く違うものになると感じました。そのような指導が出来るように場を作ることを意識して修練していきたいと思います。

(近藤 健太郎 記)

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