平成28年7月25日月曜日の修法記

今日は道院長の指導のもと修練を行いました。

基本を行ったあとは、相対での気のキャッチボール、グループでの気のキャッチボールを行いました。

始めに行ったのは2人組になって寝ている状態を起こすことを行いました。

相手を見ない状態、相手と目を合わせた状態、目を見て手を合わせた状態で行いました。

二つ目は相手に握られたら首、腰の力を抜いてお辞儀をして寝て起き上がる。

この時に握る方は「ひふみよ」で数を数えながら息を吐く。

握られた方は相手が息を吸った時に起き上がる。

呼吸を合わせることを行いました。

三つ目は自分の呼吸を動作に合わせることができるので今度は相手とお互いに呼吸と動作を合わせる。

続けることでだんだん相手の身体が自分の身体のような感覚になってくる。

掴む方は相手に呼吸を通すようなイメージで行う。

転がる方は相手の呼吸を流すようなイメージで行う。
転がる方は相手の突きや蹴りを躱す訓練をしている。
崩れるときの動きが振子の形に繋がる。

相手の呼吸を身体で吸収するようなイメージで行う。

四つ目は相手からもらったエネルギーを返すようにする。
三つ目の倒れて起き上がる時に相手のエネルギーを返す。

ずっと倒れておき上がってもお辞儀をしたまま相手に返す。

相手にエネルギーを返す。力で動かすのではない。相手をしっかりとみながら倒すのではない。軽く手をそえて倒れてもらう。

武術で相手を制する時に「崩す」というのがある。
相手を崩すことによってこちらが有利な立場になるというだけではありません。
崩すとは何か?

ある大学生が崩そうとしたらその動きに反応して逃げる。

外部から力を加えると反応が良いから逃げる。

相手が掴んだ瞬間に投げる。反応できない瞬間がある。

これをやるのではなく。

崩すことは相手が嫌な方向に持って行こうとすると反応される。

嫌だから移動してしまう。

ではなく、相手が心地よい方向に行こうとすると反応できない。

「快」の方向に持って行く。この快というのが大事なんです。

ふと眠たくなるというのが快の状態。

また自らというのも「みずからとおのずから」というのがある。

みずから相手を倒そうとすると衝突にあう。

相手がおのずから倒れる方向に持って行くと相手は自然と倒れる。

崩れるとは相手がおのずから崩れるのが「崩れる」ということです。

相手が自然と寝たら気持ち良い方向に行く。

そこに導くのが合気というもの。少林寺拳法にもそういうものがある。

快の方向にもっていく感性がいる。
その快をわかるのには感性がとてもいる。
「快」の方向を自分で感じる。

五つ目は相手に手をもたれたときに相手に手を向ける。直ぐにかけるのではなく、相手の手をつけてもらうような方向に持っていく。

「手鏡を見せるように」というのがある。それを自分だけでなく相手にもする。

そうするだけで相手が崩れる。

相手は安心するから崩れる。肘もくっついているから安心する。離れると恐くて緊張する。そうすると強くなる。

六つ目は腕十字の形から行う。

腕十字を相手を連行して倒す技と考えるのではなく相手が心地よくなるようにする。相手が心地よく感じるのは自分の胸に手を当てるのと手のひらを上に向けること。

手のひらを上に向けている状態で肩に触れると相手が自然と倒れる。

やろうという意識が強い。意識をパッと切り替えるのではなく、いつもの意識で行う。自然とやる。自然とやるのが重要。するとどこで抵抗して良いのかがわからなくなる。

今日は修練後に法座がありました。
「自分を0にすること」

自分の中にコップがあってその中に入っているものを一度捨てること。
コップの中にオレンジジュースが入っていたらその中に綺麗な水を入れても綺麗になるのに時間がかかる。時間も労力もかかる。自分が持っているコップに入っているものを捨てる勇気がいる。それが全部を受け入れる。

自分の思いを限りなく0にする。

武道でも必要なのは相手の技を邪魔しない。相手が突いてくる時に余計な感情を起こさない。考えると衝突が起こる。

武道はとても分かりやすい。どうやって躱そうかと思っていると相手も次のことを考えている。自分を0にすると相手は突いて来れない。相手の攻撃を0にすると変わってくる。日常でもそういうことをすると変わってくる。

 仏教では帰依するということです。下がったら地獄、入れば天国。

こうしろと言われたら直ぐやると必ず変化していく。

同じことをするか下がってしまう。

武道の極意はコミュニケーション能力を上げることと、エネルギーの運用を学ぶ。

それ以外にはない。相手を倒すとか殺すのはやっても意味がないし人生において不幸になる。

選択しているものを自分が選んでいると思うとアウト。誰にアドバイスをもらって何をするのか。自分の思いだけでするのではなく。心を開いて行動できるか。自分の中でも自我と自己との問題。そこを意識することが大事です。

考察
今日の修練では最後の法座にいくまでのどの技も自分の思いを減らすことを意識する内容になっていたように思います。何か自分ができることがあると人は有利に立とうとします。でもそれによって自分の器を小さくしていること。また実力がないからと何もしないことはますます後ろに下がる行為なように思いました。
 武道の極意はコミュニケーション能力を上げる。エネルギーの運用を学ぶというのも分かりやすいように思います。どうしても自分のできる範囲のことしかできないのですが、よく道院長は突き抜けるようにとういことをおっしゃいます。突き抜けようと思うと自分の思っていることだけでは到底できないのです。
求められるのは常にそれ以上のものです。その求められることに対してどう応えるか?どう行動していくのかがコミュニケーション能力の向上、エネルギーの運用に関わってくる。ご紹介頂いた本ではエネルギーに対して自分がどう思っているのかがよく分かるような気がしました。
 言葉で言うのはとても簡単なように思いますが、行動して形にする以外に表現する方法はないように思います。

(近藤 健太郎 記)

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