平成28年8月4日木曜日の修法記

 本日は、鎮魂行および基本修練の後、「肩打投」「振捨表投」「切小手」「閂送」を副道院長に指導していただきました。

 肩内投と振捨表投では、相手の手の位置を振り回して、相手に影響を与えようとしていました。しかし、それでは相手の重心が変わることはありません。その上、相手にエネルギーを与えてしまって、逆に強くなってしまいます。そのような形で捕ろうとすると、体格差で優位にあろうと、相手に自由に動かれて逃げられてしまいます。

 自分自身の動きばかりをイメージしがちですが、もっと相手を観ずることを意識するよう指導していただきました。
 具体的に、相手は前受身で力を逃がすが、その前受身の邪魔になる位置に立ってはならないということ。攻者は一本背投や肩車で攻撃を仕掛けてくるが、その回転を止めて投げるのではないということ。相手が回転して崩れている時に、掴まれている方の小手を相手の壇中に近づけてあげることで、相手は自然と前受身の形になることを指導していただきました。

 この修練の中では「相手と壇中を合わせる」ことがポイントになっているようでした。そこで、切小手や閂送を用いて、お互いの壇中を合わせる感覚、および相手の小手・肘・肩・大椎を通っていく感覚をつかむための修練を行いました。

 その中で、副道院長は、関節がどのように固まるかのイメージを説明してくださいました。その説明によると、「関節はもともと噛み合っているけれども、噛み合っている間にも空間がある」「その空間をなくしてガチっと固めるのではなくて、噛み合っている空間にひっかけるよう、少しテンションをかけるイメージ」とのことでした。
 また、相手と触れ合っている箇所(切小手であれば、攻者片手と守者両手)は、そのものが新しい関節となっているイメージを持つように指導していただきました。先日の道院長の指導において「自他の境界がわからなくなるまで行う」という言葉がありましたが、新しい関節というイメージも、自他の境界を設定した左脳的発想ではイメージしづらいものだと思います。
 実際に、私自身は少しうまくいったように思えた時も、「まだクセがありますよ」と指摘していただきました。それだけ無意識に染み付いている思考回路があるのだと思います。

 実際に副道院長に技をかけていただくと、痛みで引き倒されるイメージはないにもかかわらず、自然と丹田が浮き上がって身体が動き出してしまう形になっていました。その後も「これは壇中が合っている状態」「これは合っていない状態」という風に、何度も手をとり指導していただいたので、その感覚は何となくわかるのですが、自ら再現できていないのが現状であります。

(梅田 海来 記)

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