平成28年9月1日木曜日の修法記

本日は基本を行った後、科目の復習と学科を行いました。

横転身蹴
皆さんは転身し過ぎていますが、転身するのは拳1つ分で良いのです。

半転身蹴
半転身蹴の下受は手先からではなく、その元にある肘や腰を動かすように出します。また、黒帯の人は自分の意識を先に送っておくイメージを持って下さい、それから技をする。例えば技をする前にもう自分は転身して相手の中に入っている意識でいるのです。すると相手は崩れます。

切返小手→巻込小手→送突倒
系統立てて技を深めて下さい。どの技の理がどの技に繋がっているかを考えながら技を行ってゆくことが大切です。

 少林寺拳法では技が上手くなることを目的としている訳ではありません。技を通して「宇宙の法理法則を体現する」為のものです。道場はマンダラとも呼ばれ「全てのものが揃っている」という意味を持ちます。求めればそこに答えがあるのです。それを得るためには「拳の三訓」が大切です。拳の三訓とは「守」「破」「離」のことですね。とくにこの「守」は基本です。まずは師の格に至ること。師を真似て、我流に走ることなく自分の癖を無くすということ。最初は我流をやってしまう人が多いです。その自分の杓子定規を無くすのです。漢字でも「楷書」「行書」「草書」がありますよね。いきなり草書体で書かれている文字を見ても何が書かれているか分からない。でも、段階を経て楷書→行書→草書と学んでゆくと何が書かれているか分かるようになってくるのと同じです。段階を経てやり続けると分かるようになってくるのです。
 現在、修法記を書いて頂いていますが、例えば技の漢字の間違いがあったりする人がいます。これは科目表を見て確認するという基本を忘れなければこういうことは未然に防げますね。「これで合っている」と我流をやってしまうと間違いが起こっても気付けないのです。
 ただ、間違うことは誰にでもあります。大切なのは間違えたことからの気付きです。だからこそ、特に級の拳士の間は失敗して下さい。そこから沢山学んで欲しいと思います。

本日の学科では、まずは「守」「破」「離」の「守」である基本の大切さとそれが出来た上での「破」「離」であることを教えて下さいました。「守」は自己流を無くすことです。それは私は俺はこう思うということを一旦ゼロにしてなくすこと、手離すことです。
私が入門して少ししたある時、突きと蹴りをしていたのですがよく「あなたの突きや蹴りは形が違うよ、先輩の形を見て盗みなさい。」と言われました。自分では真っ直ぐ拳を出したり、足で蹴ったりしているつもりだったのですが、鏡を見ると違ったのです。
 自分でやっている、出来ているつもりでいましたが、この「つもり」が自分の我であり色なのだと思います。これが厄介で、違っていても出来ているつもりでいるので気付かずに修正をしようという意識になかなか至りませんでした。
 だからこそ先輩、後輩関わらずご指導頂けるということは気付きを頂くチャンスですからありがたいなぁと思います。私の場合は我流でいこうとすると本当は手間がかかっていたことや遠回りをしているなと思うことが多かったなと思います。また、その言葉を素直に聞けるかも重要で、最初はどこか抗ったり抵抗しようとしていましたっけ(苦笑)。そこを無くすと不思議と仕事の覚えが早くなったり、日常でもコミュニケーションが上手くゆくように思います。
 自分を否定してゼロにするのではなく、自分の考えていることは自分だけのものではなくて皆が繋がっているという「諸法無我」の視点で見ると「我」にこだわる必要がなくなるから一旦無くすということなのかなと感じました。
 日常ではついつい「我」の意識が強くなってしまい頭の中が自分のことばかりになってしまいますがそこに隙間を少しでも作り、手離して離見し相手や周囲を感じることができる自分を少しでも心がけてゆきたいと思いました。

(井上恵以子 記)

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