平成29年2月23日木曜日の修法記

 本日の修練は、私は途中から遅れて参加させて頂く形となりましたので、内容が途中からの文章となりますこと、誠に恐れ入りますが御了承願います。

 本日は先輩拳士より復習科目を以下のように指導して頂きました。

・両手寄抜
 引っ張る鈎手ではなく自らが鈎手に寄り、その両手を内側に寄せずに肩の位置で、相手の手首を殺すように意識をして寄抜をする事。寄抜は肘を外から入れて抜こうとすると相手の指が引っ掛かるので、自らが鈎手に寄ってから肘から抜くようにと指導して頂きました。

・上受突(表)
 相手の手刀打をぶつかるようにして受けに行くのではなく、内腕頭で手刀を沿わせて流すように、体から切って上受で流す意識で受けるようにと指導して頂きました。

・逆小手~前指固
 逆小手を極めて相手を倒す時は、相手の肘が開かないように大拳頭を下に極めながら倒す事。前指固では、相手の肘が曲がらないよう右足の脛で肘を捉えながら、大拳頭を攻める事によって上がる人差し指を押さえ込むようにと指導して頂きました。

 修練中に特に感じていた事が、痛みに対しての恐怖心でした。本日の修練では、特に上受突の時の手刀打に対しての怖さがあり、一度してみた時に、自分の上受の腕が相手の手刀打に当たり痛みがありました。そこから、またあの痛みが来るという恐怖心に変わってしまいました。
その後にこうすれば良いと先輩拳士より指導をして下さったのですが、その時に気付いたのが、痛みをどうにかしようとすると自ら痛みを作りに行っているという自分がいました。痛みを抑えようとする思考が相手の行動を押さえつけようと、無意識の内に行動に出ていました。それは相手との対立状態であり、そこに調和はありません。技のような動きをしていますが、それは自分の我による行動だと思います。先人による洗礼されてきた型は、調和の形を体現しているものです。自分は相手を観ず、感じず、痛みを拒否しようとする我を相手に押しつけようとしていたのだなと感じました。
ですので、まずは教えて頂いた一つ一つの動きをしっかりする事が大切だと思いました。こうすれば良いかなという自我から出た動きは、調和しようとする動きではありません。思考を挟まず、教えて頂いた事をそのまましていくと、痛みへの恐怖心も自然と調和の方向へと向かっていき、そこからまた新たな発見や気付きへと繋がっていくと思います。

この恐怖心も、そこで終わらせるのでなく、これからはそこからの学びや気付きを、深め広げていく意識を持ち、これからの修練を励んでいきたいと思います。

(西岡 大介 記)

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