平成29年9月11日月曜日の修法記

本日の修練は基本を行った後、道院長の指導による合同修練を行いました。

●AIに出来て人間には出来ないこととは?
 氣のキャッチボールをしている皆さんを見ていても思ったのですが、面白いことや笑わそうとしてイレギュラーな動きをしますね。そして、滑る(笑)。これはAIでは出来ないんですね。将棋なんかでは、もうすぐAIが抜くと言われています。スポーツなんかも、最近100mで9秒台を出しましたが、それがやっとなんです。バイクや自転車と勝負したら人間は負けてしまいますよね。このように、人間が勝負しようとしても文明の利器には勝てません。しかし、別の部分では機械が出来ないことを皆さんはしていました。それは、1度として同じことを繰り返した人はいなかったということです。どんなボールを投げようか、どうしたら面白い場になるかを考えて動いていましたね。こういうことはAIには真似出来ないのです。また、これからは戦争なんかも無くなるでしょう。なぜなら、戦争をしてもいいことがないと人工知能が教えているからです。これが人間よりも頭が良くなろうであろう機械が何度も計算して出した答えです。例え戦争に勝利しても代償が大きくて何の得にもなりません。勝負ごとや競うことは機械の方が長けています。これからは、違った形の少数精鋭の戦いという今までとは違ったタイプの戦い方に変わっていくかも知れません。そう言う意味でも、人間は勝負したり争うようには出来ていない存在なのです。

●人間の力の方向性
 これからは今までのような暗記形の勉強もしなくてよくなるでしょう。今まで覚えないといけない情報は、人間が頑張って覚えていましたが、これからはiPadがあれば充分こと足ります。人間は忘れますが機械はどんな小さなことも忘れませんからね。だから、そういう意味でも勉強して偉くなったり競ったりすることは意味が無くなってくるのです。それは、人間の本当に持っている使うべき力やその方向性が、頭が良くなったり偉くなったり誰かに勝つことではないということを表しています。ではどういう方向性が人間の本質なのでしょうか?それぞれ考えてみて下さい。

●知能と意識
 AIの知能という言葉はあっても、AIの意識という言葉はありません。AIが意識を持つことは今後も無いだろうとAI自身が言っているそうです。このAIが真似できない分野。それがこれからの人間が生きて行く上で大切なことを教えてくれています。
 例えば、座っている人が手を差し出して歩いてきた人の手を取るという動き一つにしても、我々は向こうからやって来る人に対してどれ位の高さでどう手を差し出したら相手は手を取りやすいかを自然と感じ、差し出します。しかし、この動きは機械には出来ません。機械は何度の方向に何㎝動かすと計算は出来ますが、人間は計算外の動きをしますからね。我々が日々当たり前にやっている、意識することや、感じることは人間の素晴らしい能力であり、こういう力を持っているということはどういうことで、どう活かしてゆくのかということを考え、感じてゆくことが大切なのです。

●人間は何かを競ったり勝負する存在ではない
 これからは、勝負しても人間は勝てないということを知らされる時代がきます。ということは、どういうことかというと、人間は勝ち負けを競う存在ではない、勝ち負けは重要ではないということです。

●ルーチンにならない、型にはまらない
 手を掴んで転がって下さいと言うと「はいはい、いつものあれね」という感じでやっている人がいます。でも、この前の転がった感覚と今ここで転がった感覚は同じではありません。毎回違っているはずですね。その1回1回を感じて欲しいのです。同じ川の流れはないのと同じように、転がる時の自分の中にある感覚は毎回違います。腰が硬いなとか、自然に転がれたなとか、自分の動きや内面も瞬間瞬間で変わっている。それを感じて下さい。また、転がす方は相手の変わる瞬間を感じてみて下さい。

●境目はない
 人間が頭で作った国境のように、自分と相手とは境界があると錯覚していますが、本当は深いところで繋がっているのです。呼吸1つ見ても、空気を分けることはできません。誰かが吐いた息の一部をこちらも吸って身体の一部になっているのです。まさに、本当に相手と自分との境界線は無いということなのです。相手の目を見て手に触れて抱き起こすと簡単に起こせるのは、深いところで相手と自分は繋がっていることを魂が思い出すからなのです。

〈考察〉
 AIが人間の知能を越える日も近いと言われています。一番、頭の良いのは人間だと思っていたのにそれが覆された時、人間の存在の意義は何なのだろうか?その深い問いについて考えてさせられる貴重な時間となりました。
 人間の本質は勉強が出来て偉くなることやスポーツが上手く出来ることではなくて、相手を感じたり自分の内面を見つめたり、感じたことを表現したり…。そういった感性の部分だったのだのではないかと思いました。
 また、人間は競ったり戦う存在ではないということが理屈ではなく実感出来ました。相手を倒そうと力で頑張っていた時には相手は倒れてくれませんでしたが、目を合わせたり、掌でフワッと相手に触れたり、相手の頬に自分の頬を付けに行くだけで相手は転がってくれました。何とかしてやろう、勝ってやろうとしても上手くいかないのは、人間がそういったことをするための存在ではないことを表しているなと感じ腑に落ちました。
 考えてみると学生時代は勉強で少しでも良い成績を取ろうと競い合ったり、スポーツでも勝つことが良しとされるなど、常に競争する意識が当たり前のように頭や心にインプットされてきたなと思います。でも、私は勉強もスポーツも出来なかったので、どこかで息切れしていた自分がいたなと思います。勝てない自分に対して自分が自分にダメな評価を下していたのだと思います。人間の本質は争うことや競うことではないと知って、ホッとしたと言うか、これからの自分や世界を見る目が変わったなと思いました。
 今まで、あまり大切ではないと思っていた感覚や感性が本当は大切だったことに驚きましたが、同時にこれからはこの感覚や感性を日常や修練の中でも磨いてゆきたいなと思いました。

(井上恵以子 記)

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