平成29年12月4日月曜日の修法記

今日は道院長指導のもと修練を行いました。

「表投」を指導して頂きました。
以下のようなことを指導して頂きました。

「皆さんは頭の中で表投を行なっている。自分のしたいことをしている。だから相手の心を感じていない。」

「この技をする意味はなんですか? 何の為に今これをする必要性がありますか?」

技を行なっている間に仰って下さいました。
「実際に相手が掴みかかってきたらどうなりますか?両手が塞がっている状態はとても簡単です。その瞬間にこちらは突くことも蹴ることも何でも出来ます。
皆さんがしているのは相手が来てから技をしている。不敗の体勢を作るとは相手が攻撃をしてくる前から決まっているのです。この人に掴みかかったらヤバイと相手が思ったら相手は近づきません。
まずは入る前に差替の順突を突けるようにします。相手に掴ませてあげるのであって、掴まれたのではありません。」

考察
今回の修練で感じたのは踏ん張ることに意味があるのかどうかです。
お互いにかかるまいと思って頑張ることはいくらでも出来ます。
ですが、お互いに技の感覚が分からなくなったり、やっている意味がそもそも何なのかが分からなくなってくる。
道院長に今これをする必要性がありますか?と問われた時にどう答えていいかも思いつきませんでした。
やればやるほどに感性が豊かになるのなら良いのですが、相手をお互いに感じない練習をいくらしても身体は固くなるばかり、汗かいて運動したというような気分だけなら、走っているのと変わらなくなってしまう。
そういうことを目指したいのではないはずです。
感性の豊かになるような修練を目指す方が本筋なはずです。
踏ん張るのが強くなること相手を倒すことが目的ではない。
改めて感性を豊かにするとはどういうことなのかを考えながら修練に励んでいきたいと思いました。

(近藤 健太郎 記)

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