平成31年2月22日木曜日の修法記

本日は、鎮魂行・基本稽古を行った後、復習科目として「内受突」「下受蹴」「外受突」「熊手返(片手)」「送合掌(二種)」を行いました。

副道院長からは以下の様にご指導頂きました。

「目打」
●真っ直ぐ出すのではなく、下から出す
目打は肩と腰を返しませんが、だからと言って手をただ真っ直ぐ出すだけでやっている人がいます。実はただ出すだけでは、相手にこの動きが来るなと悟られてしまい、効果が無いのです。目打は下から上に上げながら目を打つ動きが入っているのです。だから、相手は不意をつかれてのけ反り効果があるのです。

「内受突」
●受ける手は、力を入れずにまずは伸ばす
内受けをする時に、突いてくる腕にガンガン当たる様な受け方をしていませんか?受けをする時は、内受する手を伸ばしてから受けるようにします。伸ばし方も、力を入れずにパッと相手の肩を少し触れるような気持ちで伸ばします。それから受ける。そういう受けをしていると、バチバチ当たらないだけでなく、相手は頑張れずに突くのが嫌になってしまいます。

●意識を固定しない
常識とは、常に同じ意識を持ち、固定するということです。でも、常に同じ意識でいることは人間は出来ませんよね。皆さんも内受突はこうするのが当たり前だと思っている。でも、本当にそうなのでしょうか?ルーチンで技をしても技も意識も向上しません。よく、火事場の馬鹿力と言われますが、その力を人間は持っているのです。その力を日常の何気ない時でもパッと発揮出来るようにするのがこの修練なのです。

「下受蹴」
●意識的な動きで受けるのではなく、重力に逆らわない
八相構をする時に、そのまま手を曲げて八相構になるのではなく、両手を一度伸ばしてから八相構になってみて下さい。相手が突いてくる時に両手を肩の位置まで伸ばしたまま上げてそのまま手の重みで降ろすと、相手の突きは当たらないのです。手で意識的に何とかしようとか、体捌きで何とかしようというのではないのです。攻撃する側になるとより感じると思いますが、そこを感じて下さい。

●網を掛ける様にボーッと見る
少林寺拳法は守主攻従です。でも、相手が大きな人だったり、女性からしたら男性の攻撃は恐いですよね。何故恐く感じるかと言うと、突いてくる拳だけを見てしまうと恐いのです。しかし、突いてくる拳を見るのでは無く、投網を相手に掛けるようにボーッと相手の全体を見る。すると、相手に対しての恐怖心が無くなるのです。投網を掛けるイメージをした時点で、実は意識の上では相手と繋がる状態になり、しっかりと攻撃を受けられるようになり、守者は恐怖心を抱くことは無くなります。

「外受突」
●相手にスッと入る
左一字構から、相手が突いてくる時に右前になりながら手をスッと上げてみて下さい。そのまま相手に入っていくと突きが当たらないどころか、相手は後ろに転がってしまいます。

先輩拳士には以下の様にご指導頂きました。

「熊手返(片手)」
●肚で受ける
手が横で受ける形になっていますが、それは守者の「こうしたら、技が掛かる筈だ」という思い込みでやっているだけで、相手のことは何も考えていないのです。相手に成りきって、相手の行きたい方向に行かせてあげるだけです。そして、自分の肚で受けるのです。この肚を造る研鑽をしないといけません。すると、力も必要ありませんし、相手には痛みも無く掛けることが出来るのです。「ああしてやろう」とか「こうなる筈だ」と思ってやることは自分の我でしかありません。自分の我というエネルギーは自分に返ってきます。だから、自分から何かを仕掛けることは、ある意味、恐いことなのです。相手は本当にその方向に押してきているのでしょうか?相手を感じて肚で受けることが、どういった身体と意識で行わなければならないのかを研究して下さい。

「送合掌(二種)」
●相手に成りきる
相手の力を貰おうとしているのは分かりますが、守者が腰が引けているので逆に相手に侵襲されて技が掛かっていないのです。貰いながらも自分は崩れないことが大切です。また、この熊手返でも言いましたが、ここでも相手に成りきることです。技を掛ける瞬間は、自分は相手なのです。だから、対立せず、相手はいつの間にか崩れてしまうのです。

〈考察〉
最近の修練では「意識」に焦点が当てられているなと感じます。本日も、自分の意識が、いつの間にか当たり前や常識に捕らわれていたことに気付かされました。技を通して見ると如実に分かるのですが、意識が固着している状態でいることが多かったなと思いました。1つの事を考えていると、それしか見えなくなってしまいます。相手の攻撃ばかりを意識して、攻撃が恐く感じるのです。しかし、投網をかけるように、八方目をして広い目線で見ると他にいくらでも逃げ道があったり、相手のことを感じることも出来ました。意識の持ち方次第で自分を取り巻く世界は全く違うものに成り得るのだと感じた瞬間でした。
また、動作の前の“起こり”を無くしてパッと出す、サッとやることも大切だと思いました。技の順番や、出来ない理由をあれこれ考えてながら「せーのっ」と動作をしても、実は考えている間に動く前の起こりが出来てしまい、相手に悟られてそれでは遅いのだと思います。確かに、受けようと思って受けをするのと、相手の腕に着いた埃を取ろうとする気持ちで受けた時では、動作は似ていても意識は全く違っており、速さや相手の受ける感じや結果も違ってくるなと感じました。
武道には、自らを究極の状況に陥らせることで意識を変化・創造してゆくという側面があると思います。本日、副道院長からも「火事場の馬鹿力というのは、究極に突き詰められた状況で、力だけではなく動きやスピード、意識までもその本領を発揮することです。しかし、突き詰められた状況ではなくても人間に秘められた力やエネルギーがあり、それを引き出す方法があるのです。」ということを言って頂きましたが、武道とはある意味、常に火事場にいる状況を再現しており、その中で自分の中に秘められた力をどう発揮するかということを修練を通して学ばせて頂いているのだなと改めて思いました。
ふと思ったことを、あれこれ頭で考えずにパッと出来るよう、日ごろから意識を固着させないようにしたいのと、自分の中にもある火事場の馬鹿力をどうすれば引き出せるのか、そしてそれを日常でも発揮させられるよう、日々研鑽を重ねてゆきたいと思う修練でした。

(井上 恵以子 記)

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