平成31年4月15日月曜日の修法記

4月15日月曜日の修練では、道院長指導のもと、「巻落」「外巻落」を行いました。

「巻落」
攻者は相手の襟を掴んで攻める意識を持つ。守者は相手の肘を出させる。すると必然的に膝が崩れるので、胸を乗せる形で極める。
相手の意識に正面からぶつかりに行くのではなく、少ない摩擦で方向性を変えるという感性が必要となる。四角い物体同士が衝突すると互いに停止するが、ビリヤードのように球と球がかすれると進む方向性が変わって動き続ける。そのイメージで相手のベクトルを押さえつけずに、少し変えてあげる意識を持つ。
イメージは、紙飛行機が自然に落下し始めたところを押さえるような形で捕る。まったく押さえないのではなく、弱くなったところを少しの力で押さえる。

「外巻落」
川の流れに杭を立てると水は二又に分かれて流れる。そのイメージで相手が押してくる力を、自分の正中線を中心に横へ受け流す。古流の杖術など、真っ直ぐに杖を突き立てて構えるものがあり、やはり中心に一本線を立てている。
その要領で受け流した手首を最低限の力で極め、捕る。
また自分視点からではなく相手視点から物事を捉える。相手にこうなってほしいという形を自分が先に取ると、相手はミラーニューロンで反応してしまう。その結果、相手に「突けそうだったが、たまたま当たらなかった」とか「掴めそうだったが、たまたま掴み損ねた」という感覚を持たせることが肝要となる。明確に受けたり躱すほど、相手の認識は「自分に対する相手」となり自然と強くなる。

相手の注ぐ力の方向性を意識して、その流れをせき止めて新たな流れを生むのではなく、少し変えてあげるような感覚で修練が進んでいます。
その中で「武として一見不自然なまでの自然さ」が非常に重要だと感じています。
地面に直立しているという現象を支えるのは、足であり、脳であり、意識なので、武術的には最小単位である意識を支配しにいきます。しかし、その意識自体に影響を与えるには、こちらが身体的にも意識的にも構えてしまってはいけないとのこと(相手がこちらの意図や作為性に対して細胞レベルで無意識に反応していることは、衝突のない技を体験させていただくとものすごくよくわかります)。
戦場の技術として「生きるためには、生きようという思いを捨てなければならない」とあるように、逆説的ではありますが「攻撃しよう」という意図を捨てることが、その場の空間全体の流れを支配するためにマストです。またそれに即した動きというのは、日常的な意識状態、いわゆる平常心でのふるまいのようにごくごく自然であることを見せていただいたように思います。
引き続き「流れ続ける技」をテーマに拳を練っていければと思っています。

(梅田 海来 記)

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