令和元年6月10日月曜日の修法記

6月10日の修練では、道院長の指導のもと全体で「小手抜」「逆小手」「燕返」を行いました。

「小手抜」
親指を抜く。そこで相手の肘が出てくるように抜くから、自然と頭が落ちてくる。そこに裏拳を打つという流れがある。相手の腕を「塊」だと思わないように。腕は「線」として見る。小手全体を抜くのではなく、生命線を抜くようにする。また、皆さんは一生懸命肘を止めて抜こうとしているが、相手にどんな影響を与えているのかを確認しながら行うように。その動きによって相手にどうなってほしいのかという前提が必要である。

「逆小手」
小手抜の要領で、必ず肘を出させてとる。攻者は腕を掴んでから、相手のお腹に肘をつけにいってみてください。絶対に崩れる。この形をとる。巻小手でも、押小手でも全て同じである。何を意識してやっているのか、自分で自分を観るように。守者なのに押さえ、捻り、攻め、攻者に転じている。相手を制する意識では、相手が攻められていることに気づいてしまう。相手に掴めていると思わせておくことが肝要である。その取り方がある。

「燕返」
内受のように外に弾くのではなく、技名のごとく燕が旋回するようにして受ける。外腕刀側ではなく、内腕刀側で受け、当身は外腕刀全体を使って全体重を乗せるようにして打つ。受けの段階で相手がしっかりと崩れていれば、ごくわずかな力で相手に大きな影響を与えることができる。

この日、前半は私が指導しつつ道院長に指導を仰ぐ形で進み、後半には道院長による直接指導を全体で受けさせていただきました。
前半では「全体をよく観なさい」「単にやり方を教えるのではなく、どのような状態に導きたいのかを考えてそのために必要な言葉を選びなさい」と耳打ちしていただきました。
特に級拳士は目に見える形をなぞることから始めますので、私はやり方の説明に終始していたなと反省しました。動きの説明をしつつ、その根底には「なぜそうするのか」「どういう状態を作るのか」がありますので、そこを伝える意識が欠けていました。目的と手段が逆転して、本質的に意味のない修練を繰り返さないよう、注意していかねばと思います。
次回以降、全体を見ていて目についた箇所を指摘するだけの方法論指導ではなく、修練の目的と、そこに焦点が合うような声がけを意識してまいります。

(梅田 海来 記)

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