令和元年6月24日月曜日の修法記

助教の指導のもと以下の科目を行いました。

「外受突裏」
級拳士の方から質問があったようにまず、守者が2段階になる時は遅い。
1、2のリズムで受けていると相手の勢いに負けてしまいます。
順突を突く動きの中に外受を入れる。ぶつかると言うことは1,2の2段階になっている。
ぶつけるのではなく、相手の動きを止めないで流して上げるようにして行います。

「燕返」
手刀切で相手に影響を与えられるようにする。
今の打ち方では相手が立ったままになっています。
影響を与えるためには相手との間合に入れるようにする。
躱すのでも足は半歩だけ動かします。
今の動かし方では大きすぎるので攻者への影響が小さくなります。
また、相手の拳だけを受けるのではなく、相手の肩からさするようにして旋回をする。
その手に合わせて前に入る。
先ほども言ったように相手の足を踏むような位置入る。
相手の中心を崩すようにする。
手の動きだけにならない。

考察
2つの科目をした後には有段者での修練を行いました。2つ程行ったのですが、その際に感じたのは、自分から出すことによって
得られるものがあるのだと改めて感じました。上記の2つに関しては指導がありましたが、他の科目に関しては特に指導がありませんでした。
法形自体は間違っていませんが、その科目をやりたいと希望した拳士は何か分からないものがあったと思います。
何が分からないのかハッキリとしないので中々、質問が出来ないでいました。
そのなんとなく分からないんだろうなと雰囲気を周りも感じているように思いますが、そこで答えを言ってしまうことは相手の考える機会を
奪ってしまうのかなと思います。子育てでも同様で、子どもがこうしたらこうなると言うのが親は経験上分かるから「それをしたらダメ」、「あれをしたらダメ」と先回りして色々言ってしまうことがあります。先回りをすればするほど子どもはそっちに行きたがるし、その行為をしなかったりすることによって別のことが起こったりします。あくまで自分で感じて自分で学ぶ必要があるのだなと改めて思います。
自分自身全てが出来るわけではありませんが、日々少しづつでもこれってどうなんだろうか?あれってどうなんだろうか?と思っては道院長に質問したりしていると有り難いと感じると同時にもっと上手くなりたい、もっとどうしたら良いのだろうかと考えられるようになってきたように思います。
まずは、自分から出すことで修練でも日常でも得られるものがあるのではないかと思います。

(近藤 健太郎 記)