令和元年7月18日木曜日の修法記

本日の修練では少年部の指導をさせて頂きました。
技の稽古をしていて以下のようなことに気づきました。
法形の指導をしているはずが、自分の思いを指導をしていたことです。
法形修練の中で何気なく聞かれたことでした。
「千鳥返」をしていた時に身体の動きの中で、やりにくい動作があり、身体のこの部分の使い方が上手く出来ないと聞かれました。
自分の分かる事で柔軟の動きをしたらどうかと話をしました。
やってもらうとその動きが上手く出来ていない。
その動きをするのにはこうしたら良いと続けて話をしても良く分からないという話になり、自分がその動きを見せることになりました。
それをすれば少しは動きが良くなるのではと言う思いからやっていたのですが、副道院長より「技は?」と言われてハッとしました。
稽古をする場において、自分の思いだけを相手に伝えようとしている自分がいました。
その動きが出来ないとかいう事は、自分の中で考えることで、稽古する場所に来て柔軟をやろうとしている自分とは何なのだろうと思いました。
自分自身そのような教え方をされて来たかと考えればされていないし、見たこともない。
自己流の何かを指導してしまうところでした。
あくまでも少林寺拳法の稽古の場所だから、やることは法形修練であって、自己流の何かを教える必要はない。
恥ずかしながら、副道院長に言われるまで気づかない状態でした。
今後はそのようなことがないように修練に励んでいきたいと思います。

(近藤 健太郎 記)