令和元年12月19日木曜日の修法記

今日は副道院長指導の元、少年部の子と科目の復習を行いました。

「下受蹴」

『手に身体が引かれる』

順突を突く動きをすると反対側の手や足まで動きます。ただ相手を突くと相手に影響は与えられません。この全身が動くのが、順突の動きになります。その動きが下受になります。ただ拳を出すだけでは相手には影響を与えることは出来ません。

「内突抜」

『肩が抜けるような状態を作る』

相手はどこを掴んでいるかと言うと守者の肩になります。もし肩が抜けていたとしたら、掴むことは出来ずに崩れることになります。だから肩を上げて落とすという動作が必要になります。

『相手が足を入れて押してきた場合』

相手が足で前に入ってきた場合は、目打でも金的蹴でも出来るのです。押されないようにするには先ほどの肩の動き、もう一つは膝の向きです。膝には目があります。経穴でいうと『膝眼穴』というのがあります。それを相手に向けると相手は足を入れて前に入ってくる事が出来なくなります。

【考察】

今年1年間を振り返って思うのは、思い込みでばかり修練をしていたなと思います。

この技はこういうもの、この時にはこうする、こうなったらこう。上辺の形だけを意識していて、同じ事をやっても1回目、2回目、3回目と変わっている感じがありません。

回数を重ねるごとに良くなって行ったら良いのですが、ただ同じ形を繰り返すだけで何も進歩がありません。

少し変わったかなと思うのは自分が体調の加減で休んで、10月に復帰してからです。

一回、一回が新鮮でした。体力が回復してからも新鮮な感じが残っているように思います。ただ、この技はこうという思い込みが、その新鮮さを失わせています。柔法で1回目は払うというのも、1回目は払うから掴みに行く意識が低いから掴めなくて、当然だとどこかで思っている。でも本気で掴みに行ったら掴める。その掴んでやろうという意識があるからこそ必死になって躱すし、相手の意識を感じる事が出来るのにそれをせずに漫然と修練をしていたら何にもならない。

剛法でも同様でどうせ突いても躱されたりするというような思いでは何も得られません。

道院長がいると全員の雰囲気が違う、でもいなくてもいるような状態で修練が出来て、来られた時にはもっと良い状態になる。そういう意識で稽古だけでなく日常を過ごす事で日々へ全く違うものになると思います。年内はまだ一回修練がありますが、そのような意識で年内最後の修練、来年からの修練に取り組んで行きたいと思います。

(近藤 健太郎 記)