令和2年4月2日木曜日の修法記

副道院長の指導のもと科目の復習を行いました。

以下の科目を行いました。

「巻抜」

形を覚えている。でも、自分の動きだけを見ていて、相手にどんな影響を与えているのか見ていない。自分の動きを変える事に意識がいっていて相手の事を見ていない。

巻抜をした時には相手の肘を必ず超えるようにする。

「送小手」

自分の額の高さで技を行う。

額の高さに上げることによって相手の背骨に影響を与える事が出来る。ただ上に腕を上げたのでは影響はない。

その影響を与えるところを見る。

見るのでも手を見ると手、肘、肩と順番になる。見るのは相手の首です。

経穴で言えば大椎穴を見る。

初めから見るのではなく、終わりの部分を意識する。

自分の手首を先に動かすのではなく、足から動くようにする。

自分の足の動きが相手を崩す動きになるようにする。

考察

初めに巻抜を行っている際に何度となくやっていることが違うという指導を受けました。

自分自身は形を理解しているつもりでしたが、指導して頂いていることが一向に分からない状態でした。恥ずかしながら巻抜をしているつもりになっていました。送小手も自分の思っている形と動き、指導して頂く形と動きに差があります。

自分の中ではこうやっているつもりと言うのが技として成り立たない要因なのだと思いました。今自分の中で必要に感じているのは、見ているものを言語化出来る事が必要だと感じています。相手と組んでいても相手は副道院長の言葉や見せて頂く技で綺麗に動いているように思えます。自分はその指導して頂いている言葉の理解や技のコツに当たる部分が見えているようで見えていない。分かっているようで分かっていない。これはどういうことだと思いますか?と質問をされても微妙にズレた答えをしてしまったりしました。自分の理解していたと思っていたものは法形のようで法形じゃないもの、違うことを繰り返しやっていたことになります。何の理解が足りないのだろうと思っていましたが、やっとその一端が分かったように思います。まだまだ見えていないことばかりだとは思いますが、少しでも技が出来るようにどうなっているのかを自分の言葉で説明出来るようにしていきたいと思います。

(近藤 健太郎 記)